── 沖の屋
運命の金の導 本篇前
些細なことで喧嘩をした。
何が原因だったかなどもう憶えてはおらぬ。きっときっかけは取るに足らぬことだった筈なのだ。
それが売り言葉に買い言葉で、互いに収拾がつかぬ程言葉の応酬が続き、相手が言い返してきた先で反射的に言葉を返した。
「っ!」
しかしその瞬間、辺りの空気が変わったことに気付き、己が言ってしまった言葉の意味が漸く頭の中に入ってきた。
相手の傷付いた表情と共に。
『待てっ』
一方的な従魔契約だったが、だからと言って相手に投げた言葉など今まで考えたこともなかった。直ぐにでも誤解を解こうと、いつもよりも相手との間にある距離を詰めたところで、更に傷付いた顔をされる。
罵詈雑言だったとしても先までは言葉の応酬ができた。しかし今はそれさえも拒絶するように、己から相手へと向けるもの全てを拒否される。
『オ、オイ……ッ』
「フェルが俺との契約を解除しようったって、そうはいかないからな!!お前から言ってきたんだっ。絶対に解除なんてしてやらないっ!!お前の主人は俺以外許さねえからっ!!」
そう叫んだ相手は、そのまま背を向け街の雑踏の中へと走り去ってしまった。
残されたのは己と己以外の従魔たち。
呆然と立ち尽くしている己に横から声が掛かる。
『今のはオメーが悪い。ここはさっさと追いかけていくのがセオリーじゃねえのか?』
同じ目線の高さでパタパタと羽音をさせているドラの言葉に止まっていた思考が戻ってくる。
『ちゃんと仲直りしてからじゃねえと戻って来んなよ』
声は既に彼方後方から聞こえたが、その言葉に当たり前だと心内で返す。
相手の姿は既に視界のどこにも見当たらない。しかし従魔契約で繋がった己にはどこにいるのかつぶさに分かる。相手の辿った跡が眼前に光る導で教えてくる。だが契約を解除すればこの美しい奇蹟を見ることは叶わなくなるのだ。
『そんなこと誰が許すものか』
愚かな自分を罵りながらも、視線は常に前方へ。相手の導が濃くなってきたことで駆ける足も速くなる。
見つけたその背にかける言葉は既に決まっている。
そしてその後に続く言葉も。
狭い路地の中、視界の先に見えた姿に、今まで揺らいでいた感情に終止符を打つべく覚悟を決めた────。
初出:2023.02.19