── 沖の屋
アマイアマイアナタ
『あるじ、これ外がカリッとしてるのに中が柔らかくて、とってもおいしいね』
『うむ、この甘辛いタレとやらも肉にあって美味いぞ』
『俺はこっちのしょっぱいのも好きだぜ』
「みんなの口にあって良かったよ」
ここは海の街ベレルアンに向かう途中のとある森の中。
一日移動で森の中を彷徨っていたけど、流石に日が暮れてきたということで今日はここで野宿をすることになった。
移動の為に乗っていたフェルの背中から降りた途端、三人から一斉に飯コールがかかり、急いで夕飯の支度をする。
今日は予め作りおいていたみんな大好きレッドサーペントの唐揚げと、コカトリスの甘辛煮。それに自分用にはキャベツの千切りと豆腐の味噌汁に白飯を出す。
みんなが美味い美味いと言ってくれながら完食してくれたことにホッとする。まだ大丈夫。俺の飯は三人を満足させることができていることに安堵する。
食欲旺盛な三人の食べっぷりを眺めながら、俺もテーブルに並べてある料理を食べていく。肉ばかりじゃ栄養が偏るから野菜も添えて。今日はビールは飲まずに白米と味噌汁で。フェルたちと旅をするようになってからの変わらないいつもの食事風景だ。
それから食事を終えて、お手伝いをすると言ってくれたスイと一緒に後片付けをした後、俺とスイとドラちゃんはお風呂に入って、いつもより少し早いけど就寝することにする。
アイテムボックスから布団を出して、みんな集まって眠る。最初の頃は野宿をする時も俺とスイだけは布団に入って寝ていたんだけど、いつの間にかふかふかな布団に魅了されたドラちゃんがその後布団に潜ってくるようになり、そうすると一人ぽつんと寝るフェルがなんとなく寂しそうに見えたから、俺からこっちで一緒に寝るよう誘って今に至る。フェルは最初は狭苦しいだの暑苦しいだの言ってたけど、ふかふかの布団を差し出したら、不承不承と言った感じで一緒に寝てくれるようになった。だけど布団に入る時にいつも尻尾が振れてるのを見れば、満更じゃないことなんて一目で分かる。まあ、それを指摘したら絶対意地になって布団に入らないようになるから気付かないふりをしてるんだけど。
俺の布団の中にスイとドラちゃんが入り、フェルのは俺の布団の隣に敷いて並んで眠る。フェルは掛け布団を掛けずに敷布団の上に丸くなって眠るから、たまにフェルのふさふさの毛が当たって肌触りが良いからなんだかホッとする。
横を振り向けばスイとドラちゃんはもう夢の中で気持ち良さそうにぐっすり眠っている。フェルも目を閉じてゆっくりとした呼吸をしているから、きっと寝ている筈。まあ俺が布団から抜け出したら気付いちゃうだろうが、そこは遠くに行かなければ起きてくることはないだろうから気にしない。
スイとドラちゃんを起こさないようにそっと布団から抜け出す。少し離れたところでアイテムボックスから作業用のテーブルとキッチン用品を出して、次に食材をいくつか取り出していく。明日の朝の仕込みを少しだけしておくのだ。
明日の朝は前に川で捕まえてアイテムボックスにしまっていた魚を使った料理にする。
適当な大きさに切って、アルミホイルの上に乗せて、塩胡椒それに香り付けにハーブ、その上に野菜やきのこ類を置いて料理用の酒を振り、広げていたホイルで包む。それを何個も作って仕込みは終わり。あとは明日の朝にこれらを蒸し焼きにすればいいだけだ。
手慣れた感じで仕込みも後片付けも終わらせる。残った食材や使った器材を片付けていると、ふと目端にさっき使った塩と胡椒が目に入ってくる。
片付けをしていた手が止まる。
作業台の方へと足を向けてまだ片付けていなかった塩と胡椒を見つめる。どちらともなんの変哲もない、いつものようにネットスーパーで取り寄せたもの。
俺は塩の入った容器を持ち上げると蓋を開けて容器を振った。手のひらの上に塩が溢れ、月の明かりで白く浮き上がる。その塩を少しの間じっと見つめていたが、塩の付いた指を口元へ持っていき舌でゆっくりと舐めた。
『何をしておる?』
塩の味を感じるよりも先に背後から声をかけられ、ドキリとする。フェルが起きているだろうことは分かっていたが、まさか声をかけられるとは思わなかったから、慌てて手に付いた塩を払い、うしろを振り向いた。
「明日の朝食の仕込みをしていただけだよ。なんか魚料理が食べたくなってね」
なんでもない風に装い、今まで自分がやっていた作業の内容を話す。仕込みをしていたのは嘘ではないから、今の自分の行動は敢えて言わずに説明をしてみたが、フェルの顔が訝しげに歪んでいくのが見えた。あ、これは納得していない顔だって思っていたら、案の定そうではないと言葉が返ってくる。
『そのことを言っているのではない。今さっき何かを手に振りかけていたではないか。あれは何をしておったのだ』
俺が今も持っている塩の入った容器を見ながら問いかけられては誤魔化すこともできず、言葉を選びながらフェルに言う。
「塩だよ。調味料で使っている」
『それを何故手に振っていたのだ?』
分からぬと言った風に言葉を返される。まあ、そうだよね。いつも使ってる調味料を舐めてたんだから。初めて使うものでもない調味料をわざわざ舐めたりなんてあんまりしないからね。フェルが俺の行動に疑問を持つのも分かるよ。
「この間、塩がなくなって新しい塩を入れたんだけど、いつもと違う種類の塩にしたから、どんなかなって思って確認しただけ。別に理由なんてないよ」
これは嘘。
塩に限らず、使う調味料はいつも同じものしか使っていない。でもそんなことはフェルには分かる筈がないだろうから、嘘をつくことに謝りながらも俺はその嘘をそのまま貫く。
『塩などどれも同じではないのか?』
「そんなことないよ。取れる場所によって味は違うし、用途によっても変わってくるからね」
いつもと違うと言ったことで興味を持ったフェルが近付いてくる。
「フェル?」
『我にも舐めさせろ』
そう言うと塩が付いた手のひらに鼻先を寄せてきたかと思ったら、そのまま舌で舐められてしまった。嘘がバレるかもって一瞬心臓が跳ねたけど、どんな塩を使っているかなんて知らない筈だと自分に言い聞かせて、動揺を悟られないようにする。
「いきなり舐めるな」
『分からん。塩っぱいのは分かるが』
「そりゃあ塩そのものを直接舐めることなんてあんまりないからな」
舐められた指をさりげなくフェルから隠し、残りの食材や器材もアイテムボックスへと片付ける。
「ほら、仕込みも終わったから寝るぞ。明日も一日移動になるだろうからちゃんと睡眠を取って疲れを取らないと」
『フンッ、我を軟弱なお主と一緒にするでない。お主が望むのなら次の人の街まで寝ずに駆けてもよいのだぞ』
俺の言葉が心外だったのか、まだまだ体力があることをアピールしてくるフェルの言葉に顔を顰める。
「絶対嫌だ。そんなことしてみろ、フェルの食事から肉を抜いてやるからな」
いくら少しは慣れたといってもフェルの背中に直接乗っているんだ。馬に着ける鞍のようなものがあるわけでもないし──そんなものを着けようものなら烈火の如く怒られそうだ── 振り落とされないように必死にフェルの毛を握りしめて移動するしかない。はっきり言ってめちゃくちゃ疲れるから、時々は歩いて移動することもあるが、それをすると遅いだなんだと文句を言われるから、結局はフェルに乗って移動することが大半だった。
『ぐうっ! お主はそればかりだな』
「フェルが無茶苦茶なことをしようとするからだろ。俺は騎士でも冒険者でもないんだから、手加減してもらわないと困る」
情けないことを言っている自覚はあるけど、フェルに付き合っていたら体がいくつあっても足りない。できないことはできないとはっきり言わないと。
『軟弱者』
「はいはい、俺は軟弱者です。だからフェルが俺に合わせてくれよ」
まだ何かぶつぶつ言いたそうなフェルを適当にあしらい、スイとドラちゃんが眠っている布団まで戻ってきた。二人は俺たちの声にも気付くことなくぐっすり眠ってくれていてホッとする。
「それじゃあ、おやすみ」
『本当にもう寝るのだな』
「寝るよ。だからフェルもちゃんと寝るんだよ」
何を心配しているのか知らないけど、俺の顔をじっと見つめてくるフェルに笑みを見せる。そのまま隣で横たわったフェルの首元を軽く撫でて布団に潜り込んだ。
「おやすみ」
ふわふわした毛並みを感じながら目を瞑る。
俺が本当に寝る態勢に入ったのを見届けたフェルは、納得したのか躰を丸めて一度深く呼吸をして、そのまま眠りに入った。
少しすれば隣から深く規則正しい息遣いが聞こえてくる。
反対側では小さな呼吸音が二つ。
森の中で三人の従魔に囲まれ眠る夜。異世界に来てからはそれが当たり前になってしまっているけど、本来の俺はこの世界の住人じゃない。勇者召喚に巻き込まれた、こことは別の世界、日本で働くただのサラリーマンでしかない。
だけど、ただのと言うには少しだけ特殊な事情を持っている。
もぞりと身じろぎした俺は、さっきフェルに舐められた自分の指を見つめる。
“塩っぱいって言ってたな”
当たり前だ。塩を舐めたら誰でも塩っぱいと感じる筈だ。
だけど、俺は。
“やっぱりこっちの世界でも味覚は戻らないか……”
あれだけ塩を舐めたけど、塩っぱいと感じることも、他の味覚を感じることもなかった。ただ無味の砂のような小さな粒を舌で感じただけに過ぎなかった。
“フォーク”
それが俺が持つ、他の人とは違う特殊な事情というやつだった。
初出:2023.09.12