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摩天楼の夜

「アンタのスーツ姿なんて初めて見た」
 政府主催の会食の後、そのまま会場のホテルの上階にVIPとしてリザーブされた部屋の扉を開けた二人は、そのまま窓側に置かれたソファに座り凝り固まった肩を軽く回していた。
 いくら二人が国家権力級のハンターであっても堅苦しい招宴は苦手であり、できればあまり参加したくないものであったが、流石に今回のような政府が関わる宴ではそうもいかなかった。
 漸く解放された反動で、部屋の一角を占める革張りのソファにどっかりと座り込み先程に至る。
「アロハ以外の服も持ってたんだな」
 揶揄うように言う旬にトーマスが肩を竦めてみせる。
「オマエが俺の贈ったスーツを着てくれるって言うんだから、俺もそれ相応の格好をしないとな。それに──、」
 旬のスーツ姿を見下ろし、上着を捲り上げ裏地を見せる。
「知っていたか?この生地は俺と同じものなんだぜ」
 そこには一目見ても分かる程、上等な黒の布地が使われていた。しかもよく見ればただの黒ではなく細かな文様が入っており、緻密な職人の技が見受けられる。そしてそれはトーマスの上着の裏にも同じ布地が使われているという。
「さっきの会場で何人かがオマエに見惚れていたが、そのスーツを見て青褪めていたのに気付いたか?」
「そうなのか?」
 基本的に周りのことに頓着しない旬は、自分が周囲からどう思われていようが気にもしていなかった。
 そんな旬に呆れつつも、トーマスはその時の周りからの羨望と嫉妬の視線を思い出し、優越感で口元が緩む。
「何?ニヤけた顔して気持ち悪いな」
 突然笑い出したトーマスに訝しげな視線を寄越す旬だったが、改めて目の前の男の姿を見つめて思う。
「いつもそういう格好をしてたらちょっとはまともな人間に見えるのにな」
 体格が良いトーマスがスーツを着れば、自分なんかよりもずっと様になるのにと、少々勿体無いと思ったが、この姿が毎回だとそれはそれで目の毒のような気がする。
 無言で見つめる旬に何を思ったのか、トーマスは徐に旬を抱き上げ自分の足の上に座らせる。
「俺の格好が気に入ったのなら、もっと間近で見ればいい。何なら触ってもいいんだぜ」
 言いながら、トーマスの手は既に旬のスラックスからシャツを抜き出し、その下にあるしなやかな肌に指を這わしていた。
 欲を隠すことのないトーマスの指に、しかしいつもと違う感触に旬の眉間に自然と皺が寄る。見れば黒のレザーグローブをしたままのトーマスに触れられている。
 目の前にあるネクタイを掴み、トーマスを自分の方へと引き寄せると、互いの唇が触れ合うくらいの場所で妖艶な笑みを見せる。
「そんな物を着けたまま俺に触るつもりか?」
「それならオマエが外せばいい」
 旬に咎められはしたが、グローブを着けたまま更にシャツをたくし上げていく。スーツと同じ色をしたベストにも指をかけ、釦を一つずつ業とらしくゆっくりと外す。
「早く外さないと、このままオマエの肌に触れてしまうぞ」
 ネクタイを引っ張られたことを逆手に取り、近付いた旬の頤を無骨な指で捕らえる。勿論こちらの手にも黒のレザーグローブを着けている。親指で頤を持ち上げ、緩く曲げた人差し指の第二関節辺りで旬の唇を撫でる。時折閉じた唇を割り、中の柔らかい部分を戯れに摘んでいく。
「このままオマエの口内に指を入れて舌に触れても?」
「だから、俺に触れるならそれを外してからだと言っているだろ」
「旬に外してほしいんだ」
 なあ、いいだろう。
 寄せた唇が触れるか触れないかの旬の唇の上で言葉を紡ぐ。口付けるわけでもなく、開いた口を旬の唇を何度も掠めるように喰む仕草を見せる。
 もどかしい感覚に堪らず旬がトーマスのネクタイを引っ張れば、逃げるように唇から離れていく。
「トーマス…っ」
 非難する声にもトーマスは意に介さず、旬が自らグローブを外すように要求する。
 暫くトーマスを睨んでいた旬だったが、目を閉じると諦めたように一つ息を吐く。
「アンタは悪趣味だ…」
「そうか?オマエを求めたんだ。趣味がいいと自分では思っているんだがな」
「言ってろ」
 悪態を吐くが再び瞼を上げトーマスを見上げた顔には、羞恥に眉を寄せて頬に朱を散らした表情が浮かんでいた。
 頤を掴んでいたトーマスの手首を掴み、内側で留められている釦に歯を立てる。カシリと歯が当たる音と共に釦が外れる。そのまま指の方へと引っ張れば手のひらが見えてくる。そこから今度は指へと唇を移動させ、口内にグローブのままの指を迎え入れる。
「アンタの指太過ぎ」
 二本の指の布地を引っ張ろうと口内に人差し指と中指を入れるが、もうそれだけでいっぱいになる。早々にグローブを脱がそうと布地に歯を立てたところで、不意に指が旬の舌を挟み扱くような動きを見せる。
「っ…ぁ、トーマ、ス?!」
「オマエの口ん中堪んねえな。これで俺のモンしゃぶってんだと思うと疼いて仕方ねえ」
 舌の裏側をなぞり、上顎を擽る。性感帯を刺激された旬は唇を閉じようとするが、入り込んだ指が邪魔をして閉じることもできず、飲み込みきれなかった唾液が口端から零れてしまう。
 眉根を寄せた旬の表情が情事の際トーマスのものを咥えた時を思わせ、指を出し入れさせれば更に苦しげな表情に変わり、男の欲を否応なしに刺激してくる。
「口が疎かになってるぜ」
 唾液を飲み込もうとする卑猥な水音にぞくぞくしながら、グローブを外す動きを止めたままの旬に言えば、薄っすらと涙の膜を張った瞳で睨みつけられる。それでも布地に歯を立て外す動きを再開させた旬は、漸くトーマスの手から脱がすことに成功する。咥えたままだったグローブはおざなりにその場に捨てられる。黒の革地が唾液に濡れ、部屋の照明に晒され余計に卑猥に見えた。
「ちゃんと脱がせれたな」
 グローブのない手で褒めるように旬の頬をなぞる。
 口内から漸くトーマスの指が抜け出し、ホッとした旬だったが、それとは逆に口内を容赦なく弄るものがなくなった喪失感に困惑する。
 その喪失感を埋めようと頬に触れるトーマスの指を手に取ると、今度は自らその指に舌を絡めて唇で扱くように動かす。上目遣いでトーマスの瞳を見つめながら、時折唇を開け見せ付けるように舌で指の股を舐めていく。
「今度はアンタの番だ」
 そう告げると、口内に入れた指に舌を絡め思い切り強く吸い上げる。絞るように吸い上げる強さにトーマスの肩がびくりと震える。と同時に瞳孔が開き獰猛な肉食獣の黄金色の光が浮かび上がる。
 旬の唇が愉悦に塗れる。
「男が服を贈る意味は知ってるか」
 既にもう片方のグローブはトーマス自身が脱ぎ捨て、ベストの下のきっちりと着込んでいる旬のシャツを引き千切る勢いで釦を外していく。顕わになっていくアジア人特有の象牙色の滑らかな肌が照明の下に晒される。
 隠すことのないトーマスの欲が自分だけに向けられる快感にじわりと下半身が疼いてくる。
 首元を締めるネクタイに自ら指をかけ、引き抜いた旬は釦の弾け飛んだシャツを肩から肌蹴ながら荒々しく息をするトーマスに口付ける。
「その服を脱がせたい、ってことだろ」
 旬が答えを紡いだ瞬間、トーマスの足の上に横抱きに座らされていた身体が浮き、そのまま今度は足を跨ぐような格好にさせられる。
 足の上に腰を下ろせば下から突き上げるように腰を動かされ、開かされた股の間にスラックスの上からも分かる程猛ったトーマスのものが押し付けられた。
「旬」
「アンタの贈ったものだ。好きにすればいい」
 その言葉を合図に、旬の肌の上を無骨な指が撫ぜていく。
 感じる場所を的確に愛撫していく指に旬の呼吸も乱されていく。
 快感に潤む視界をふと横にずらせば、そこには一面の夜の光が映し出されていた。眼下に見える摩天楼の光の渦。その頭上には辺りの光を覆い消す程の満月。
「どんな美しい景色であっても、今のオマエの姿態に適うものはない」
 旬の視線の先に何を見ているのか察したトーマスの低く腰に響く声。
 視線を目の前の男に戻した旬は、男の裸体こそ美しいと思った。
 いつの間にかトーマスによって部屋の照明が落とされている。壁一面をガラスで覆われた窓から入る眩し過ぎる程の月の光の中、しかしそれには目もくれず、互いの身体に絡む指だけに意識を持っていかれる。
 彼らの中では既に何万ドルとも言われる夜景は視界に入ることすらなかった。

 静かな夜、広い部屋に荒い息遣いだけが響いた─────。


初出:2021.07.04

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