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妹たちの黙示録

「水篠さん、今ちょっといいかな」
 昼休み、りんと一緒にお弁当を食べようと思った葵は、席を立ったタイミングで前から三人の女子生徒に声を掛けられ一瞬、彼女たちに気付かれない様に眉を寄せた。
 ここ最近、休み時間の度に学年問わず葵のところに人が集まってくる。
 大概は女子生徒が多いが偶に男子生徒もやってきては皆一様に同じ質問をしてくる。男子生徒は兄のハンター業について、女子生徒に至っては───、
「水篠さんのお兄さんって、彼女いるのかな?」
 この質問一択であった。

 先日、葵の進路について二者面談があった。
 水篠家は父は行方不明、母は入院中とあって、葵の保護者は兄である旬が担っていた。
 その為、二者面談の際に旬が学校まで訪れたのだが、その時に旬を見初めた生徒たちが一同に容姿に熱を上げ、あの日あの面談の後は学校中騒然としていたと後日友人から葵は聞いたのだった。
 しかし兄がモテていることに葵はいまいちピンと来ていなかった。何故なら、家では何時も洗いざらしたシャツにデニムのボトム。髪はボサボサで、大口開けて寝ている姿はお世辞にも格好良いとは思えず、どう見てもモテる要素が見当たらない。それなのにあの面談の日以降、葵の周りは蜂の巣を突いたように騒がしくなり、些かうんざりしているところであった。

 そんなこんなで今葵の目の前にいる女子生徒たちも過分に漏れず旬のことを聞いてきているのだが、葵としては応えは何時も一つしかない。
「彼女は見たことないけど、いるかどうかは分からないよ」
 実際、旬が誰か女性と一緒にいるところはハンターを始めてからは見たことがないし、電話が掛かってくることもハンター協会の職員を名乗る女性以外は一度もない。
 唯、事実を述べただけに過ぎないのだが、それをどう解釈したのか目の前の女子生徒たちはこぞって黄色い声を上げて更に質問を投げてくる。
「じゃあさ、どんな子がタイプか知ってる?」
「お兄さんハンターなんだよね。どのくらい稼いでるの?」
「歳はいくつなの?年下の彼女ってどうかな?」
 彼女たちは葵のことなど気にせず好き勝手に質問を投げては「何聞いてんのよ」「図々しいわよ」と互いに牽制し合いながらも期待した目で葵の応えを待っている。
 はっきり言って大変面倒くさいと思った。
 なので早々にお帰り願おうと知らぬ存ぜぬと応えていたら、とうとう業を煮やした一人が葵に向かって苛立たせるに足る一言を発した。
「もしかしてお兄さんを取られると思って何も言わないんじゃないの?水篠さんって実はブラコンだったりして?」
 クスクスと挑発するように言ってくる相手に流石の葵もカチンときた。
 葵自身、自分は絶対にブラコンではないと思っているが、こんなことしか聞いてこない頭の悪そうな彼女なんか絶対に願い下げだし、そもそも旬が選ぶとも思わなかった。
 前に冗談半分で女子高生を紹介しようかと旬に言ったことがあったが、やはり旬の彼女になる人は、もっと落ち着いていて大人な女性がいいと思った。その時、ふと頭に一人の人物が浮かび上がった。
 それは先の休日、旬と一緒に郊外へ行った時のこと。



 ずっと試験勉強ばかりしていて身体が鈍っていた自分を気分転換に外に連れ出してくれて一緒にランニングをした日。
 その時に知り合いがいたと言っていた旬。
 挨拶をして来ると言って自分を先にベンチに向かわせ会いに行った人物。
 実は誰に会うのか気になってあの後こっそり旬の後をつけて行ったのだった。
 あまり自分のことを言わない兄の交友関係。興味がないわけがない。
 どんな人物と会うのか内心ドキドキしながらつけていくと、なんてことはない、休日の昼間から黒のスーツをきっちりと着込んだサングラスを掛けた男性と話をしていた。
 一度旬が入院していた時に病室に来ていた人物と同じ黒づくめ。旬はハンター協会の職員だとその時言っていたから今目の前にいる男性も協会の人間なのだろう。
 浮いた話の一つも出てこない兄にもしかしてと淡い期待をしていた分、がっかりした葵だったが、その後の二人のやり取りにドキリとした。
 旬は何気なく挨拶をしていたが、葵が見る限り何時もより表情が硬く緊張しているように見えた。
 対する相手はサングラスを掛けている為表情は分からないが、話をしている途中途中で口元に笑みが見えているから、旬のことは嫌いではないんだと思う。
 何となく不自然な二人。
 旬が困った顔をする度に笑みを見せる男性。
 終始緊張している旬なんて見たことがなかったから、葵の心中まで不安な気持ちでざわついてしまう。
 どう言った関係なのか、旬に危害を加えたりしないだろうか、ハラハラしながら二人を見ていると、不意に男性が旬の待っているアイスを指差し何かを言うのが見えた。
「溶けそう…」
 さっきランニングが終わった後に葵が買ってきたパラソルショップのアイスクリーム。
 昔懐かしのと書かれた幟が気になって、自分と旬の二人分を買ってベンチで食べようとしていた時に行ってしまったから、旬の手にはまだ食べ掛けのアイスが残っていた。
 日差しに当たりクリームが溶けて旬の指を濡らしそうになっている。
 どうするんだろう、と緊張しながら葵が見ていると、慌てたようにアイスを口に放り込む旬が見えた。
 きっと旬も目の前で食べて良いものか考えあぐねていたところを男性から促されたんだろう。
 慌てて食べたせいか口元には溶けかけていたクリームが付いてしまっている。溶けたアイスは旬の口元から顎に沿って落ちて行き、それに気付いた旬が慌てて指で拭き取ろうとした。
「え…?」
 旬は自分のことで精一杯で気付いてない。男性が目元からサングラスを外し胸のポケットに入れると、口元を拭おうとしている指を捉え、驚いて身を引いた旬の腕をやんわりと掴み自分の方へと引き寄せた。
 一体何をするのかとハラハラしながら見ていると、男性に引っ張られ驚いた旬が上を向いたところで、服に落ちそうになっているクリームを舐めとるように旬の顎下に男性の唇が触れた。
 それがあまりにも自然な流れで見間違えたのかと思うくらいだった。
 唇が触れていたのは一瞬だけ。
 固まる旬に対して男性の表情は先と変わらない。何かを旬に告げているが、ここからは公園の喧騒で聞き取ることができなかった。
 そんな二人のやり取りに葵も衝撃で動けなかった。
 自分の知らない、旬よりもずっと大人の男性が自分の兄に寄せたセクシャルな行為。
 ピリリ、と相手の携帯電話が鳴ったことで我に返った葵は、見てはいけないものを見てしまった気がして、急いでその場から離れ、旬と別れたベンチまで戻ってきた。
 その後の二人のやり取りは見ていない。
 でも唇を離す時に見えた男性の旬を見る目に一瞬熱が篭ったような気がしたのはきっと気のせいじゃない。
 心臓が早鐘を打ったようにどくどく鳴っている。
 どうにか旬が戻って来るまでに上がった心拍数を落ち着かせないと、この後まともに顔を見ることができそうになかった。
 葵は暑くなってきた日差しの熱とは関係なく火照った頬をペチペチと叩き、今見た光景を頭から追い出す為にひたすら深呼吸をしたのだった。
 その後、どうにか落ち着くことができて少し経った頃に旬は戻って来たが、行きと違い明らかに表情に動揺の色が見えて、少なからず兄に同情した葵だった。
 唯、少しの興味心で何となく誰と会っていたのか試しに聞いてみた時の旬の瞳に、先程会っていた男性と同じ熱を見たような気がしたが、瞬き一つで綺麗に霧散したので真相は分からずじまいだった。



「水篠さん!聞いてる!?」
「え?」
 葵が先日のことを思い出している内に何やら彼女たちの間で決まったらしく、葵に向かって鼻息も荒く強い口調で言葉を畳み込んでくる。
「だから!今度の休みの日にお兄さん紹介してって言ってるの!彼女いないんでしょ?だったら私たちに紹介してくれても問題ないでしょ」
 いえ、問題ありまくりです。
 とは、流石に口に出しては言えず。
 どうやら今回葵の元にやって来た女子生徒たちは他の子たちから色々聞いているのか、葵ののらりくらりと躱す応えに対策をしてきたみたいで、今までで一番強硬な手段を取ってきた。
 旬の都合があるから無理と言っても、じゃあ何時なら大丈夫なの、と言ってくるだろうし、あんたたちに旬を紹介するなんて誰がするか、と言ったらブラコンだの何だのと有らぬ噂を立てられそうで、どうしようかと応えに窮していると、横から聞き覚えのある声が葵を呼んでくる。
「あおいー?お昼まだ?お弁当食べる時間なくなっちゃうよー」
 緊張感の欠片もない声に苛々していた気持ちが少し治まる。
「りん、ごめんちょっと立て込んでる」
 暗に面倒臭いことになってると言葉に匂わせると、最近の葵の周りで起きてる事情を知っている朝比奈りんは、心得てるとばかりに葵に向かって軽く目配せをしてきた。
「何?何かトラブル?」
「ちょっと!私たち水篠さんと話をしているの!横から入って来ないでくれる?それとも貴方もお兄さんのこと狙ってるの?!」
 不意にやって来た見知らぬ女子生徒に明らかに彼女たちは動揺していたが、ここで葵を連れて行かれては困ると、りんに対しても強気に出てくる。
 しかし、りんの顔を見た瞬間誰かが小さく声を上げる。
「りん?りんって朝比奈りん?この間ハンター認定を受けたっていう」
 その言葉にりんにまで強く言いかけていた一番真ん中にいる女子生徒の口が不自然に止まった。
「そうだけど?貴方たちさっき葵にお兄さんを紹介しろとか言ってたみたいだけど、はっきり言って貴方たちじゃ全然釣り合わない。分不相応って言葉知ってる?貴方たちじゃ旬くんの横に立つ資格なんて更々ないの」
「ちょっと!何で貴方が水篠さんのお兄さんを名前で呼んでるの?!どういう関係なのよ!」
 挑発する為に態と名前呼びをしたりんに、女子生徒たちは思った通り目の色を変えてりんを問い詰めてくる。
「どういう関係?ハンター同士なんだから同じ攻撃隊に所属しているだけよ。そこで色々話をして仲良くしてくれてるの」
 実際にはあのダンジョンでの出来事以降、りんは諸菱の持つ攻撃隊を辞め、また学校へ戻って来たのだが彼女たちがそれを知っているわけはないので、真実とハッタリを混ぜて伝える。
 葵が何か言いたそうな顔をしていたが、そのまま黙ってりんの言葉を聞いてくれていた。
「まさか付き合ってるとか言うんじゃないでしょうね!それこそ似合わなすぎるんじゃない?」
 眦を釣り上げて詰め寄ってくる女子生徒たちの言葉にもりんは余裕めいた笑みで返すことで、更に彼女たちの感情を逆撫でる。
 りんには何を言われても余裕で返せる理由がある。
「貴方たち、あんな格好良い人に本当に特別な人がいないとでも思ってるの?葵だって本当は分かってるんじゃない?」
 女子生徒たちに向けていた顔を葵の方へ向け、意味深に片目を瞑ってみせる。
 先程の目配せといい今回のウィンクといい話を合わせろという意味なんだろうと思った葵だが、りんの言葉裏にはどうにも何かが隠れているようで。だが、彼女の言う旬の特別な人がピンと来ない。
 誰かいただろうかと、同調しながらも頭の中を探ってみせて、ハッとする。
 思わずりんを二度見してまじまじと彼女の顔を凝視すると、りんがニンマリと笑って得心したように頷く。
「え、何?それ本当なの?彼女に心当たりあるの?!」
 妹である葵がりんの言葉で何かに気付いた素振りを見せたことで、女子生徒たちに焦りが見える。
「ハンター関係の人かな、私も前にチラッとしか見てないから」
 思い出すのは、先程まで思い返していた先日の光景。
 旬を見る男性の目は明らかに違っていたし、戻って来た時の旬の目にも同じようなものが見えた。
 それはきっと彼らに中に何か特別なものがあるんじゃないかと思わせるのに十分なことだった。
 唯、りんが何故それを知っているのかが謎ではあったが、きっとハンターの仕事をしている時にでも見たか気付いたかしたんだろうと結論付けた。
「と言うことで、これ以上葵に何を言っても無駄だから。他の子たちにも言っといてね」
 葵があれこれ考えている内に、りんはそれだけ言うと彼女の腕を掴み、後ろでまだ何かを叫んでいる女子生徒たちに構うことなく教室からさっさと出て行ってしまった。
「あの子たち放って置いて大丈夫かな」
「大丈夫、大丈夫。どうせ一頻り私の悪口言ったら気が済んで直ぐに別のことに興味が移るよ」
 あんなのは唯のミーハー。相手にするだけ時間の無駄。
 未だ葵の腕を掴んでスタスタと何時もの場所まで歩いて行く彼女は何でもない風にカラリと笑った。
「りんは、うちのお兄ちゃんのこと知ってたの?」
「何言ってんの、前に病院に付き添ったじゃない」
「そうじゃなくて!その…お兄ちゃんに特別な人がいるってこと」
 彼女たちに話していたことが全部本当の話だとは思っていなかったが、りんの口調がどうにも何かを知っているようで、つい探るようなことを聞いてしまう。
「知ってるよ。だって見ちゃったんだもん…。あんなところ見せられちゃったら嫌でも特別なんだって思うよ。葵だって心当たりがあるから、あの時私の言葉に反応したんでしょ」
 何となくしんみりした声音で返してくるりんに葵も先日の光景を思い浮かべながら、首を縦に振ることで肯定する。
「でもね、身内のそういうの見ちゃうのってやっぱりびっくりするじゃん。特別なのかもしれないけど、その…やっぱり、普通とは違うでしょ?」
 あの時の相手がもし女性だったら、あんなにドキドキすることはなかったのかもしれない。でも、だからと言って不快な気持ちになったかと言えば、そんなことはなく、ただひたすらにこれからは二人の関係が気になって仕方なくなるんだろうな、と思った。
「りんはどう思った?変じゃなかった?」
 自分は兄のそう言った場面を見てしまっても嫌だとか思ったりはしなかったが、他人から見たらやっぱり同性同士というのは変なのかもしれない。だから、りんから見た二人がどうだったのかが気になった。
「私は…一度しか二人がいるところを見てないけど、彼らの絆が凄く綺麗だなって思った。きっとそこには誰にも侵すことのできない領域があるんだと思う」
 ダンジョン内でのことを言ってるのだろう。
 葵は旬の戦っているところを一度も見たことはない。それ故にりんの言う二人の絆というものはピンと来ないが、特別な何かがあるということには納得できた。
「あーあ…、私お義姉さん欲しかったなぁ」
「あの人お義姉さんには流石になれないよねー。でも格好良いし、ちょっと怖そうだけど結構甘やかしてくれそうな感じがする。自分に雪が被ってもお兄さんには掛からないように自分のマントで庇ってたしね」
 自分の知らないダンジョンでの出来事を教えてもらい、そんなことがあったんだと関心か向く。
 公園では人目があるから余所余所しい感じに見えただけだったのかもしれない。
 実際、甘やかしてくれそう、と言うのは分かる気がする。見た感じからも大人の包容力がありそうだし、甘やかすと言うよりもベタ甘な感じがした。
「そんなことがあったんだ。お兄ちゃん、ハンターのことは殆ど話してくれないから」
「あー…秘密主義なとこありそうだね」
 りんもレッドゲートの時に何も聞くなと言われた。
 だからあの騎士のことも聞けずじまいで、結局あれ以降は旬とは会っていない。
 あの時のことを思い出しながら、葵の話に頷く。
「できればまたあの二人のツーショットが見たいなー」
「その内何処かで見えるかもよ。私も公園で偶然見ちゃったし」
「そうなの?ダンジョンでだけしか会えない人だと思ってたけど、そういや葵はゲート内入れないもんね。葵が知ってるってことは、ゲートの外でも召喚されたことがあるってことか」
 もしかしたらハンターをしてなくても彼らに会える可能性があると分かり、高揚して目を輝かせるりん。
 しかし、その横で明らかに困惑した表情を見せる葵。
「ダンジョンでしか会えないとか、召喚とかって何の話?お兄ちゃんの特別な人の話をしてたんじゃないの?」
「え?だからしてるじゃん。葵のお兄さんの特別な人。お兄さんが召喚する甲冑姿の背の高い騎士のこと」
「どう言うこと?私が言ってるのはハンター協会の黒いスーツの男の人のことだけど?」

「「あれ?」」

 ここに来て漸く二人は自分たちが互いに別の人物について話していたことに気付く。
 暫し無言になる二人。
 何かを言わなければと頭の中で今までの経緯と互いの言葉を整理して、それから内容を咀嚼して、さあ、と同時に口を開いた。
 が、その時無情にも昼休みの終わりを告げる五限目の予鈴が校内に響き渡り、二人の声は鐘の音に掻き消されてしまった。
 そして、鐘が鳴り終わった後に続く二つの悲鳴。
「「あーっっ!!!お弁当食べそびれたーっっ!!!」」

 さあ、二人の誤解が解かれるのはいつ─────?


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以前UPした「初夏の日差し」「朝比奈りんの回顧録」のその後の話になります。
りんちゃんの話をUPした後に葵ちゃんから見た話も書いてみたいと思って、それならシリーズにしてみようってことで、三部作にしてみました。
あと、二人が二人違う人物について話してるのに気付いてないってのも面白いかもと思ったのですが、どうでしょうか。ちゃんと誤解を生むような言い回しになっていましたでしょうかw
今回も腐要素は低めで、何時もより内容は軽いです。
モブ女がウザいと思って頂けたら狙い通りですw

初出2020.07.20

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