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Brandy cake

 一口食べた後に口の中に広がる、甘くて苦い果実の芳醇な香りと酒精に、恋人の悪戯心と少しの自分に対しての非難が混じっていることに気付いた。

 今日は、世間一般では恋人たちの祭日。
 勿論、自分たちも例外ではないが、残念なことに今日は休日出勤を強いられていた。通常ならば協会も休日であり、必要最低限の人数しか館内には出勤している者はいない。それなのに高位ゲートが出現したと言う報告が入ってしまい、人数が足りないということで、休みではあったがゲートの調査に駆り出されたのだった。
 彼にはとても申し訳ない気持ちで、一度は外せない用があるからと、手の空いている他の者に任せようかと思ったのだが、彼の「行って来て下さい」の言葉に促され、休日出勤が確定したのだった。
 勿論、その際に「帰ってきたら埋め合わせして下さいね」とニッコリと笑顔を浮かべた恋人の顔は忘れられないし、離れ難くて玄関で大人気なく本気のキスをしてしまったことは今思えば大分恥ずかしい。
 そんなことを思い出しながら淡々とゲート調査と今後の指示を出し終え、協会の自分のデスクに戻って来てみれば、ゲートに向かう前にはなかった物がデスクの上に積み上げられていた。
「これは…」
「あ、課長お疲れ様です。課長が休日出勤してるってどこからか情報が回ったみたいで、不在時に女性たちがわんさか置いていきましたよ」
 いいなぁ、なんて言ってくるここの男性職員に溜息と若干の殺意が湧く。
 しかし、周りは自分に恋人がいることを知らないから(監視課の職員たちは薄々気付いているようだが)毎年のように綺麗にラッピングされた贈り物を自分の不在時に置いていかれてしまう。何度も自分には不要だと公言しているのだが、なかなか数が減ることがなく、この時期の頭を悩ませるものの一つだった。
 面と向かって渡してくる人には丁重に断りの返事をするのだが、不在時に置いていかれた物を突き返すことは、流石にそこまでの非情さもできなかった。
 けれども今年はそうも言ってられない。
 あからさまに義理だと判るものはまだ良いのだが、偶に女性の本気が判る物もあり、そろそろ恋人がいることを周知させた方がいいのかもしれないと思案する。
 どちらにしてもこれらは家に持って帰ることはできないので、彼女たちのは申し訳ないが今年も例年と同じように、近くの児童施設に寄付することにした。
「年々数が増えていってる気がするし、そろそろ課長も周知させた方がいいんじゃないですか?まあ、去年までは特定の人もいなかったみたいなんで、課長も特に何も言わなかったのかもしれないですけど。今年は彼女さんにバレたら拙いと思いますよ」
 そう言ってくる部下にチラリと視線を向けると、そちらはそちらで自分に引けを取らないくらいの数の山が築かれていて、思わず呆気に取られた顔をしてしまった。
「俺はいいんですよ。今フリーですし、女の子からの贈り物は何時でもウエルカムです」
 こちらの考えていることが分かったのか、にこやかな笑顔を見せてそう言ってくる部下に、今度こそ苦笑を返す。
「夜道には気を付けるように」
 それだけを言って、事情を知っている部下へ「何時も通りで」と頼んで自分の分を任せ、あとは恋人の待っている我が家へと勇み足で向かった。
 そして帰宅後に迎えてくれた彼から贈られたチョコレートケーキを一口食べて、冒頭に戻る。

 酒精の独特の風味が口内から鼻に抜ける頃には、既に目の周りに熱が集まるのが分かった。
 脳が微かにフワフワとして、体が熱くなってくる。
 自分がアルコールに弱いことを知っている筈の恋人からの少し過激な悪戯。でも彼がこんな贈り物をしてきた意図も分かるから、怒るよりも一層の愛しさが込み上げる。
 きっと協会でのことをどこかから知ったのだろう。
 彼の不思議な能力からか、それとも彼を気に入っている協会のかの方の悪気のない世間話からか。
 隠蔽するつもりはなかったし、もし彼から問われれば素直に話すつもりもあった。
 そんなことをフワフワした頭で考えていたら、彼がしでかした悪戯なのに、思った以上に酔いのまわった自分の姿を見て何だか慌てている姿が目に映る。心配して動揺してる彼もまた可愛らしい。
「大丈夫ですよ」
 二つの意味を込めて発した言葉に彼は気付いているだろうか。
「旬さん以外何もいりません」
 熱くなった体から熱を逃す為にネクタイを緩め、首周りのワイシャツのボタンを外す。
 不安げな表情を見せる彼に安心させるように微笑みかけると、何故か顔を真っ赤にして俯いてしまった。
 不思議に思い、近くにいる彼の腰を更に掴んで引き寄せ、顎に指を掛ける。自分の方を見てもらいたくて優しく顔を上に向けさせる。
「あ…」
 小さく吐息を零し目元を赤く染め上げ、潤む瞳と目が合えば、抑えていた情動が身の内に湧き上がってくる。
 出掛ける前に攫った彼の唇を視界に入れてしまえば、理性を保つことも難しく、気が付けば呼吸ごと唇を奪い、朝のキスよりももっと深く口内を舌で暴いていた。
 きっとこの情動はケーキに含まれた酒精の所為。
「だから、こんな悪戯をしなくても僕は貴方のものですよ」
 唇が触れるか触れないかのところで言葉を紡ぐ。
 チョコレートの甘い香りとブランデーの酒精の香りに充てられはしたけれど、本当のところはそんなものではない。
 恋人の可愛いヤキモチ。貴方しかいらないと言ってもそれでも見えない女性たちに対して不安がる彼の心。
 彼が何を思ってこの酒精の入ったケーキを作ったのかが分かってしまうから、今夜は抑えなんてききそうにもなかった。
「どれだけ僕が貴方を愛しているか教えてあげますよ」
 そう囁いた自分に驚いた顔をする。
 だけど、その後に見せた彼の恥ずかしそうな表情の奥に、目を惹く程の色を含んだ熾火が灯るのが見え、知らず知らずにうっそりと笑みが浮かぶ。
 二人で座るには少し大きなソファに彼の体を横たえると、自然と上がった彼の手のひらが後頭部にまわり、髪に指を絡められた。
 再び寄せる互いの唇。
 明るい照明の下で見る恋人の艶態は、どんな甘美なチョコレートでも芳醇な酒精を持ってでも敵うものはなかった。

 翌日、いつものように協会に出勤した自分のワイシャツの襟元の、見えるか見えないかの場所にくっきりと咲く朱華に誰かが気付き、協会内が一時阿鼻叫喚となっていたらしいが、仕事に打ち込んでいた自分は気付くことはなく一日が過ぎていった。
 そして珍しく会長の話し相手として協会に来ていたらしい旬さんの首元にも、同じように朱華が咲いていることは、自分だけしか知らないこと────。


初出:2021.02.14

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