── 沖の屋
巡り合い
ザワザワと喧騒が広がる館内。
朝のミーティングが終わり、午前中に決裁を済まさなければならない書類に目を通していると、ふと室外から騒めく声が聞こえることに気付く。さして興味もなかったが、声が段々と犬飼のいる課に近付いて来ている気がした為、さり気なく書類から視線を上げてみた。すると、丁度同じ課の部下と目が合う。
「あ、騒がしくてすみません!」
「いや、それはいいんだが。今年の新しい職員はまだ研修をしているんじゃなかったか?」
年度が替わり、協会職員も新旧入れ替わりの時期だった。例年と同様、新しく協会が採用した者、別の機関から出向してきた者が先日の入所式で期待に満ちた瞳で、ここの会長の話を聴いていた場面を思い出す。
新しく配属された者は年齢に関係なく、入所から三ヶ月間は研修を行い、その後各部署に正式配属とされる。
ただ、今日はまだ入所式から三日しか経っていない。本来ならば、研修室で座学中心で講義を行なっている筈だ。
犬飼が訝しげにしていると、部下が慌てて言葉を追加してくる。
「今日は館内の各部署の配置と説明を行っているようです」
ハンター協会の建物は広い。特に国の中心部にあるここは、各地の協会支部の情報が一手に集まる為、配置されている職員数も地方の比ではなかった。
その為、年度の始まる前後は人の出入りが盛んになる。新しく協会に入った者はここの規模の大きさに驚くことだろう。
「新人か。懐かしいものだな」
「課長はいつここに入られたのですか?」
通路を真新しいスーツを着た一行が通り過ぎて行くのを目で追いながら、ポツリと呟いた言葉を部下の男が拾い、問い掛けてくる。
「いつだったか。ゲートが発生しだして少し経った頃になるな。二十四、五辺りか」
「課長って大卒って仰ってましたよね。ってことはここには中途で入られたんですか?てっきり新卒なんだと思ってました」
ハンター協会は公務員ではないが、民間企業かと言われればそれも違う、曖昧な位置付けをされている機関だ。所謂、準公務員と呼ばれることが一番しっくりくるのかもしれない。その為、途中から入職する者は少なく、大抵が高校、大学を卒業して入社してくる。
なので、部下が犬飼も大学を卒業後に入ったものだと思い込んでいたとしても不思議ではなかった。
「ここに来る前は別の官庁に勤めていた。その後、ハンターに覚醒した為、上からここに転属を請われ今に至る」
「はー…、そんなことってあるんですね。だって前は公務員でしょ?いくらここが公益性が高い機関だったとしても、所詮民間企業じゃないですか。よくそんな無茶振り承諾しましたね」
犬飼の有り得ない職歴を垣間見た部下が憤慨したような呆れたような声を出し、犬飼を見てくる。しかし、当の本人は特に気にした風でもなく、部下が何に対して怒っているのかがいまいち理解できなかった。
「別に特別公務員に拘る必要はなかった。上から請われるんだったら、其方に行くしかないしな」
要請されてのことだったが、実質は転属命令だった。
当時はまだハンター協会も漸く組織的に成り立ってきたところだった。まだまだハンターの数は少なく、当時から高ランクのハンターは不足していた。それなのに民間ギルドがこぞってランクの高いハンターをスカウトしていく。ハンター協会は先にも述べたように民間企業といっても公共性の強い機関だ。ハンターと言う特殊な職業であったとしても、名の通ったギルドの報酬額からすれば月とスッポン程の差がある。その為、審査で高ランク判定をされた者は、協会よりも有名な大型ギルドへと加入していく。
ハンター協会には、各地に発生するゲートを管理するだけでなく、ハンター自身も監視する役目がある。
一般人よりも能力の上がるハンターが犯罪を犯すことがあれば、通常の警察機関では手に負えない場合が多い。その為、ハンター協会の職員がハンターを監視し、何か不祥事を起こった場合、協会側が処理を行うことになっていた。
犯罪に手を染めるハンターはランクを問わない。協会側としては自分たちの職員を高ランクのハンターで組みたいと思っていたが現実は厳しい。だから、その対応策として準公務員の立場を利用して、公務員から覚醒者が出た場合、協会への転属を示唆するように、発足当時国と内々で取り決めをしていた。国側からしても有事の際、高ランクハンターが協会に多い方が何かと都合が良い。二者の利害が一致した為、犬飼のように覚醒前は官公庁で勤務していたが、その後、協会勤めに替わった者も実はそこそこいたりするのだった。
「それでも課長程の実力がありましたら、大型ギルドで活躍できたでしょう」
「それは当時、友人たちにも散々言われた話だな」
そう犬飼が話したところで、部下の名を呼ぶ他の職員が現れ、会話はそこで終了となった。
部下は謎に包まれた監視課課長の過去が分かるチャンスだった為、もっと話をしたそうに名残惜しげに犬飼の方を見ていたが、入ってきた職員に引き摺られるように退出して行った。
新人研修生一行も既に別のフロアに移動したようで、途端に静寂が訪れる。
カタカタと別の職員がパソコンのキーボードを打つ規則正しい音と空調音。それに別のフロアから聞こえてくる電話のコール音を聞きながら、犬飼もまた自分の業務に戻る為、目の前のパソコンの画面に視線を戻したのだった。
穏やかに過ぎていく時間の流れ。
キーボードを打ちながら、犬飼は先程の部下と話していた内容を思い返していた。
”課長程の実力がありましたら、大型ギルドで活躍できたでしょう”
部下の言った言葉は前の職場の職員や友人たちに散々言われた言葉だった。
当時、ゲートが世界各国で出現しだした頃、元々ハンターなどと言う職種はなく、謎の空間から現れる魔物を国の既存の機関でどうにか討伐していたところだった。そんな折、明らかに一般の人間よりも高い能力を持つ者が現れ、それらが襲いくる魔物たちを次々と倒していった。後にハンターと呼ばれるようになるその人間たちは、魔物を倒した際に出てくる副産物に目を付けた。魔法石やマナ石はもとより、魔物の死骸やダンジョン内から出土する物が莫大な利益となる。彼らはギルドを組み、ゲートを独占していこうとした。複数のギルドが乱立し、ゲートの奪い合い、ゲート内での略奪が横行し、治安が一気に悪くなった為、国は急遽ゲートの監視とハンターの取締りを行う必要のある機関を発足させた。
しかし、既に軍事力のある機関を有する国に、更に力を与えることに危機感を持った野党や保守派の政治家たちから反発があり、最終的に今のハンター協会が設立したのだった。
勿論、発足当時はハンターの数も少ない。また、高ランクのハンター判定が出た者は公職を辞め、民間ギルドに加入していく者も少なくなかった。
そんな経緯がある為、国は協会に補助金を出し、協会側に各地の公職に係わる職員で覚醒判定が出た者に対して、今の給与よりも大幅に報酬額を上げ、協会に入るよう要請した。そうすることで、どうにか民間ギルドにハンターが流れることを食い止めていたのだった。しかし、それでもギルドとの報酬額の差は大きく、ハンターの流出を止めるには微々たる策だった。
犬飼の場合も、前職にいた時に上から命令が入り、覚醒判定を受けた。結果、極めてSランクに近いAランクという判定を受け、その時から周りの犬飼を見る目が変わった。
上司からは直ぐにでも協会に転属することを勧められたが、友人たちは有名なギルドへ入ることを勧めてきた。その中には両者ともの思惑が透けて見え、うんざりしていた犬飼であったが、どちらにしてもその当時の犬飼にはさして興味も関心もないことであり、覚醒したことで周りが蜂の巣を突いたように騒がしくなったことが煩わしくて仕方がなかったくらいだった。
昔から特に何かをやりたいといった感情もなく、安定しているということだけで公務員になった犬飼に突如と湧いて出たハンターという特殊な能力。一体自分はどうすることがいいのだろうかと、連日頭を悩ましていた。転属承諾の回答の期日も迫っていた。
そんな時、鬱々としていた気分を少しでも晴らす為に都内の緑地公園内を気晴らしを兼ねて散歩をしていた。
緑溢れる木々と爽やかな風に当たることで心を慰める筈だった。
適当なベンチを探し、持参していた本を捲り、穏やかな時間を過ごしていた時だった。
突如として公園内にサイレンが鳴り響き、次いでアナウンスが流れ出す。一体何が起きたのかと緊張感が流れる中、公園内にゲートが出現したとの警報。
穏やかに流れていた公園内の空気が一気に恐怖の色に染まり、我先にと逃げ出す人々が駆け出していく。
ハンターの判定を受けていたとしても実践なんてしたことのない犬飼は、今はまだ他の一般人と変わらず、冷静に成り行きを判断してこの場を離れることを選択した。
人の流れに逆らうことなく、道なりに出口に向かって歩いていると、視界に違和感を覚えた。
急に立ち止まった犬飼を不快げに睨み付けていく人々を気にも留めることなく、違和感を覚えた方へと改めて視線を向ける。すると道から逸れた木の側に子供が二人佇んでいるのを視界に捉えた。近くに親は居らず、この状況下で逃げることもなく、じっと一点を見つめて動こうとしない。親と逸れた迷子かと思い、犬飼は考える間もなく子供の方へと足を向ける。
近付いてみて気付いたが、どうやら少年と少女のようで、少年は小学生の高学年頃、少女の方はまだ低学年くらいの見た目だった。
「君たち、ここは危険だから避難した方がいい」
急に見知らぬ大人に声を掛けられ不審に思われないように優しく声を掛けてみるが、二人は動こうとせず、少年に至っては少女の手を握っていた手を更にきつく握り返していた。
やはり不審者と思われているのかもしれないと、子供の警戒心にどうしようかと頭を悩ませる。
自分の子供ではない。声を掛けてもその場から動こうとしないものを無理やり連れて行くわけにも行かず、取り敢えず声は掛けたと、その場から離れても良かったが、小学生をその場に残していくのはどうにも良心が痛み、結局犬飼もその場から動くことができなかった。
「お父さんか、お母さんはいないのかな?」
それならばと、二人の親の行方を聞いてみる。近くにいるようならば、自分の出る幕ではない。
腰を屈めて少年に目線を合わせると、漸く犬飼の方へと視線を合わせてくれた。
少し気弱そうな顔をしていたが、真っ直ぐに犬飼を見る瞳の輝きは強く、意志の強さを窺わせる。
「父と来ていましたが、ゲートが発生したと報告が入ったので、僕たちにここで待っているように言って其方に行きました」
まだ声変わりの来ていない少し高めの声で犬飼の問いに答えてくれる。
「ゲートに行ったって…。お父さんはハンターなの?」
「はい、ハンターでもありますが、消防士でもあります。だから要請があればゲートに駆けつけなければならないのです」
淡々と答える少年に不思議な気持ちにさせられる。いくら要請があったとしても、こんなゲートから直ぐ近くのところに子供だけを置いていく親がいるのだろうか。そして、それを当たり前のように受け入れる子供にも理解が追い付かなかった。普通であれば子供だけを置いていく不安や置いていかれる不安があるのではないだろうか。
犬飼が信じられない思いでいると、それに気が付いた少年がパチパチと瞼を瞬かせ、苦笑を見せてくる。
「できたばかりのゲートだからモンスターはまだ出て来ません。それよりも早くゲートを攻略する方がみんなの為なんです」
父の受け売りですけどね。
そう答える少年に、それでも納得できない表情で眉間に皺を寄せていると、
「別に父が薄情なわけではないですよ。外で要請が入ったら毎回、泣きながら僕たちを抱き締めて名残惜しげにするから、僕の方が早く行くようにせっつくんです」
犬飼の考えていることが分かったのか、そう言ってくる少年の顔は父親の情けない姿を思い出しているのか、先程までの緊張が解かれ年相応の表情が見える。
「それでもやはりここは危険だ。何処かに避難した方が良いと思うんだが」
「お気遣いありがとうございます。でも、戻って来た時に僕たちがここにいなければ、それこそ大変なことになるので、父が戻って来るまではここを離れるわけにはいきません」
「パパね、すっごいお顔でさがすんだよー。ねー。」
少年の言葉にそれまで黙っていた少女が声を出し、同意を求めてくる。少年もその光景を思い出したのか、困ったように笑みを浮かべる。どうやら、二人をここから避難させることは難しいと犬飼も二人の会話と表情で察する。
「じゃあ、お父さんが戻ってくるまで、僕も一緒にいるよ」
話してみて少年はとてもしっかりしているように思え、二人だけでも大丈夫な気もしたが、それでも子供二人のこの状況は危なっかしくて、結局犬飼も二人の父親が戻ってくるまで一緒にいることにした。
少年はまさか今あったばかりの他人が自分たちと一緒にここに留まるとは思いもしなかったみたいで、驚いた表情で犬飼を見上げる。
「僕たちは慣れてますから大丈夫ですよ」
「それでも、君たちを置いて自分だけ避難する薄情さは僕にはなくてね」
「でも…」
「それにゲートから魔物はまだ出て来ないかもしれないけど、混乱に乗じて君たちに悪さをする者がいないとも限らないから」
危険なのは何も魔物だけではない。こんな状況下でも、否、こんな状況下だから犯罪を犯す者も出てくる。略奪だけではない口にするにも悍ましい罪を平気で犯す者がいる。
少年は今までもこういった状況は何度かあったような口振りだった。それは今みたいに屋外でのことなのか、何処か保護できる場所でのことなのか分からない。今まで運良く犯罪に巻き込まれなかっただけで、今後のことは分からない。今、犬飼がここで別れた後に巻き込まれる可能性だってある。そう考えたら二人だけをここに置いておくことはできなかった。
「…お節介だって周りの人に言われませんか?」
「今まで僕をそんな風に言った人はいないな」
「じゃあ、僕が初めてですね…」
犬飼がどう言ってもここから去っていく気はないと分かった少年は、呆れたように言うが、サラリとした黒髪から覗く耳元はほんのり赤みを帯びていた。
妹を不安にさせないようにと気丈に振る舞っていたのだろう。しかし、どんなに気丈にしていてもきっと子供二人でいつ戻ってくるか分からない父親を待つのは不安だった筈だ。
「君は強いな」
偽りなく言った言葉だったが、少年はフルフルと首を振る。
「強くなんてないです。ゲートが開く度に出て行く父を見送ることしかできない。僕が父と同じハンターで、もっと大人だったらって思います。そうしたら父の手伝いができるのにって」
何度も父親の背中を見送ったのだろう。ゲート内のことは入ってみなければ分からない。魔力測定器が普及したことにより、ゲートのランクが分かるようになってはいたが、どんな魔物が中にいるかは入ってみなければ分からなかった。勿論、引き返すことはできたから、無闇に進む必要はなかったが、最近ではレッドゲートと呼ばれる新たなゲートも発見されている。それは一度入ってしまうと、ダンジョンのボスを討伐するかダンジョンブレイクが起きなければ脱出することができないゲートだった。
二人の父親のハンターランクがどの位置なのかは分からないが、きっと戻ってくるまでは心配で仕方がないだろう。
「実は、僕もハンターなんだ」
そんな子供たちの姿を見て、犬飼は何故か今の自分の状況を話したくなった。
「先日、覚醒判定を受けてハンターだと分かってね」
「え?それじゃあ、早く現場に行かなくていいんですか?」
「まだ正式にどうするか決めてなくてね。今の仕事のこともあるから。でも上からは協会に入るように言われ、友人たちは民間のギルドに入った方が稼げるって言うんだ」
こんなことを一回りも年下の子供に話すことではないと思ったが、少年の大人びた言動に触発されたように言葉が出てくる。多分、心のどこかで誰かに今の自分の気持ちを吐露したかったんだと冷静な部分の自分が思う。
「どうするのが自分にとって一番良いのか決めかねててね。すまない、こんなこと聞かされても困るな」
ジッと犬飼の方を見つめる双眸に気付き、やはり子供に聞かせるべきことではなかったなと、自嘲気味な笑みを浮かべる。
しかし、少年は笑うことも困惑することもなく、犬飼の瞳に視線を合わせ、殊の外真剣な表情で見つめてくる。
「父が言っていました」
星の夜空を思い出させるような瞳に吸い込まれる感覚に陥りそうになり、慌てて瞼を瞬かせれば、視線がふいと逸らされる。少年の瞳の向かった先はゲートが開いたと言われた方角。
「ゲートは直ぐには開くことはない。それよりも早くゲートを攻略する方が人命を助ける一番の近道だと。但し、その為には何処でゲートが発生したか迅速に把握できる機能がいる。それは一民間ギルドではできない。もっと大きな機関がやらなければ人々を守ることはできない」
どれだけ大きなギルドであっても、日本各地に発生するゲートを全て把握することは不可能だった。それができるのは国が持つ機関だけだ。しかし、国が新たな武力となる機関を持つことはこの国では困難なこと。それならばと表面上は国とは関係のない機関としてハンター協会が発足された。民間ギルドのように利益を得る為ではない、人命を守る為にある機関だ。
「父は協会が常に人命を第一に考えるのなら助力を惜しまない、そう言っていました。消防士らしい父の考えだと思います」
ここからは見えることはなかったが、きっと今も二人の父親はあの木々の向こう側に発生したゲート内で人々の為に魔物と戦っているのだろう。
「お兄さんがハンターとしてどう活躍されたいのか分かりませんが、僕は父を尊敬しています。僕ももしハンターとして覚醒することがあれば、父のようになりたいと思っています」
それに、と少年は再び犬飼へと視線を向ける。
「父はたくさんの人を守っています。けれど父を守ってくれる人は誰もいません。だから僕はもっと大きくなったら僕が父を守りたい」
真剣な目を犬飼に向けてくる少年は、子供特有の夢や希望を語っているわけではない、将来自分が成すべきことを、父親を守るということを自分の中で決定しているように見えた。
「勿論、父だけではありません。父がゲートに入っている間は、母のことも妹のことも僕が守らなければなりません」
少年の言葉に犬飼は漸く自分が何に迷っていたのかが分かった気がした。
自分には守るべきものがないのだ。
家族はいるが、もう何年も会っていない。彼らが魔物に襲われることがないようにとは思うが、きっとこの少年のような強さで思うことはなかった。
友人が言うようにギルドに入って稼ぎたいとも思わない。
自分は今のままが良かったんだと、ここにきて気が付いた。
ハンターになんてなれなくてよかった。毎日変わらない仕事をこなし、何の刺激もなく平坦な人生を送りたかった。
なのに周りが一変した。
きっと自分はその変化に感情が追いついていなくて、こんなにもどうしようもなく、自分だけが蚊帳の外にいる気持ちでいたんだと分かった。
「お兄さん」
自分の気持ちに漸く気付いた犬飼に少年は声を掛ける。
思考に陥っていた犬飼は一瞬反応に遅れたが、少年の方へと慌てて顔を向ける。
「お兄さんがハンター協会に入るかギルドに入るか分かりませんが、もし僕がハンターになることがあれば、また会いたいです」
「え?」
「あ!!パパだ!!」
穏やかな笑みを浮かべ見つめられ、一瞬何を言われたか理解するのに遅れた。その為、声を掛ける前に少女の声が重なり、出て行く筈だった言葉は喉の奥で不自然に止まってしまった。
少年の手を離し、駆け出す少女の先を見れば、一人の男が此方に向かって走って来ているのが分かる。
少年も少女を追うように駆け出して行く。犬飼はそれを眺めるしかできなかった。
男の下に辿り着いた二人が勢いのまま飛び付くと、男はふらつくことなく二人の体を抱き締める。男が二人の父親だと分かり、ホッとした感情ともう少し少年と話がしたかったと思う感情が入り乱れる。
犬飼がそんな風に思っているとは露知らず、父親に何かを話していた二人は改めて犬飼の方へと体を向けると一礼をして大きく手を振ってきた。父親の方も少年から話を聞いたのか犬飼に会釈をしてくる。
父親が来てしまっては呼び止めるわけにもいかず、犬飼も彼らに手を振り、そこで彼らとは別れることになった。
「また会いたいか…」
最後に少年が言った言葉が耳に残る。
少年の姿が見えなくなるまで、犬飼はそこから動くことができなかった───。
「───、晃さん」
自分を呼ぶ声に意識を浮上させる。
どうやら、自宅へ帰って来た後も部下と話していた昔の記憶に意識が飛んでいたようだった。
声のした方へと視線を向けると心配そうに犬飼を見つめる双眸と目が合う。
「疲れているのでしたら、もうベッドで休んで下さい」
「いや、疲れているわけではなくて。ただ少し思い出に耽っていてね」
もう十年も前の記憶。しかもほんの少しの間だけの記憶。
もう少年の顔さえも曖昧になってしまい、十年も経ってしまった今では姿だけではきっと街中で会ったとしても気付かないかもしれない。
けれども、あの瞳の強さだけは忘れることはない。
「思い出ですか?」
「ええ。僕がハンター協会に入る理由をくれた人との思い出です」
声の主に自分の座るソファに誘うと素直に隣に座ってくる。
視線を合わせると、目線は自分と変わらない位置。
星の夜空を思わせる瞳の色は、意志の強さを窺わせる。
「約束をしていたことを思い出したのです」
「約束ですか?」
「はい。その人がもしハンターになったら、また会いましょうと約束したんです」
犬飼の言葉に瞳が大きく見開かれる。
その反応に満足した犬飼は、相手の頬にそっと指を沿わせる。
「約束を守ることができましたね」
そう言うと、くしゃりと瞳を歪ませた恋人の唇に優しく口付けを落としたのだった。
今ここにいる理由。
漸くそれを彼に話すことができた────。
初出:2021.05.03