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貴方に向けた剣は貴方を護る剣となりました

 朽ちた廃墟の一角。
 使われることなく放置され誰も近付くことのないこの場所に、ある時から夜な夜な何かがぶつかり合う音が響くようになった。
 金属が打ち合う音、擦れ合う音。
 その合間に建物に打ち付ける音、崩れる音が静かな夜の闇に響き渡る。
 キンッ……。
 今一度、金属の甲高い音が響く。
「大分、お前の動きにも慣れてきたと思うんだけど」
 金属音の後に男の声が続く。少しだけ弾んだ声がさっきまでの剣戟の激しさを物語る。
 声に応えはない。
 だが、男が訝しむことも機嫌を損ねることもない。それは目の前の相手から言葉を返されることがないことを知っているからであり、男……旬も返事を期待して言ったわけではなかったから。
 再び剣を交える為に相手となる自身の影、イグリットの間合いの中へと飛び込んでいく。筋力と敏捷を強化した体は以前とは比べ物にならないくらい軽やかに動く。それでも馬鹿正直に自分よりも強い相手に飛び込んでいくことがどれだけ無謀なことなのかは分かっている。分かっているが、どうしても真正面からイグリットにぶつかりたかったのだ。自分の力が今どのくらいまで強化されているのか、イグリットにどのくらいまで近付いているのか。
 転職クエストで初めてイグリットと対峙した時、剣ではどうあがいても絶対に太刀打ちできないと早々に確信した。短剣の刃が鎧に傷ひとつも付けることができず、拳で戦うことを余儀なくさせられたが、本来であれば旬の戦闘スタイルは短剣での攻撃だ。最終的には短剣でイグリットにとどめを刺すことができたが、それでもがむしゃらに戦った末での勝利だ。剣の使い方や足捌き、体の動かし方なんて、お世辞にもスマートとは言えなかった。それはレッドゲートでアイスベアを相手に立ち回るイグリットの動きを見ても思った。己の剣はまだまだ無駄が多いと。
 その点、イグリットは騎士団長の肩書きを持つだけあり、剣捌きに一切の無駄がなかった。流れるような剣筋と軽やかな動き。それでいて一撃一撃がとてつもなく重く、受け止める度に指が痺れる程だ。今のところ大剣を使っての戦い方しか見たことがないが、マントで隠された背面にも短剣を携えているのは知っている。戦闘に使うものなのか護身用なのかは知らないが、きっと短剣もそれ相当の使い手であることは容易に想像できた。
 正面からイグリットに向けて突き出した短剣は、難なく剣身で弾かれ躱される。それでも勢いのまま更に二撃、三撃と追撃する。回り込み、死角から振るった剣がイグリットの大剣と擦れ、火花が散る。剣先を逸らされ、目の前に切っ先が迫るのを間一髪で回避し、後方へと間合いを取る。そのまま攻撃する手を休めることなく、次の動作に移る。
 互いに一進一退。決着がつくことなく、時間だけが過ぎていく。
 しかし、旬はこの瞬間の体が昂り、血が滾る感覚にどうしようもなく心が躍った。
(気持ちいい)
 きっとイグリットが自分に合わせて剣を振るっているのもあるのだろう。受けては流し、身を翻す。そして再び受ける。時々旬を試すようにタイミングをずらし、隙のできたところを的確に突いてくる。旬がそれに対応できれば、イグリットから称賛するような視線を向けられる。まるで剣の師範に褒められているようで面映かったが嬉しくもあった。
 風を切り、打ち鳴らす剣の音。
 廃墟に敷き詰められた石畳を靴が鳴らす音。
 イグリットの動きに合わせて旬も動く。ステップを踏むように、軽やかにリズミカルに。
(踊っているようだ)
 そう思い、イグリットの進む方向に同じく体を合わせ足を出した、その時だった。
 旬の考えを読んだようにイグリットの足がタイミングをずらして出される。
「っ!」
 不意を突かれた体はすぐには反応できず、たたらを踏んだ一瞬をイグリットは見逃さなかった。足元を大剣が容赦なく薙ぎ払い、バランスを崩した体がその場で膝をつく。転倒は免れたが、次に来る剣撃に備え体を後転させたところで、目の前に剣先が見えた。動きを読まれていたと気付いた時には遅かった。
 チャキ……。
 喉元で大剣が鳴る。
「まいった」
 旬の一言ですぐさま剣が退かれる。
 膝をついた旬に合わせて、イグリットも正面で片膝をつき旬の言葉を待つように頭を垂れてくる。
「やっぱりまだ敵わないな」
 もう少しというところまで迫ることはできても、やはり経験の差か、あと一歩が届かない。しかし、それでもイグリットに負けた悔しさはない。次こそはと奮い立つ感情が湧き上がりはするが、事実を受け入れるのになんら抵抗はない。それよりももっとイグリットと剣を交えたかった。決着がつかなくてもいい。長く激しく、己の気力が続く限り打ち合いたいと思った。
「剣を交えるのがこんなにも気持ちがよくて、楽しいとは思わなかった」
 E級の時は金銭的なこともあり、己の剣を持つこともできなかった。力もなく、低級のモンスターにさえ傷を負わすのがやっとで、家族のことがなければハンターになんてなっていなかった。
 そんな自分が再覚醒をして経験値を積めば積む程レベルが上がり、強くなっていく。今まで倒せなかった敵も容易に倒すことができ、思うように体を動かすことも可能になった。
「それでもまだイグリットには及ばない」
 だけど近いうちにきっとイグリットよりも強くなる自信はある。
 それを目の前で膝をついたままの当事者に言えば、さも当然だというように旬の方へと視線を上げて目を合わせてくる。
「お前より強くなければ主君とは言えないもんな。イグリットだって自分より弱い人間に仕えたくないだろう?」
 転職クエストで得たスキルは、倒した者を己の召喚獣として使役できるものだった。しかし、倒した相手のレベルが自分よりも高いと影を抽出できる確率がグッと低くなる。
 あの時のイグリットは旬よりも格段に強かった。それに加えて、倒してから数時間が経過していた。イグリットを抽出できたのは本当に幸運だったとしか言いようがなかった。
 それとも、イグリット自身の意思で旬の影として使役されたいと思ってくれたのか。
「そうならいいな……」
 だから、そんなイグリットの意思に応える為にも強くならなければならないのだ。
 拳を握り、改めて意気込む旬の視界にふと紅が入る。イグリットが動いた拍子に彼の兜にあるプルームが靡いたのだ。
 握る拳を掬い取られる。
「イグリット?」
 どうしたのかと訝しげに名前を呼ぶと、言葉の代わりにそっと拳の上に忠誠の証を落とされた。兜の上から、触れるか触れないか。ほんの一瞬の行為。
「うん……。あの時言った言葉に偽りはないから」
“目の前にいる俺を守ってくれ”
 心から願った言葉だった。
「俺を守れ」
 今再びその言葉を唇に乗せる。
 命令的で傲慢な口調にもかかわらず、それを恭しく受け容れるイグリットに感情が揺さぶられる。胸の中心に熱が集まるのが分かる。だけど、その感情に付ける名前を旬はまだ知らない。
「もう一本付き合って」
 だから、その熱を鎮める為にも再び短剣を握る。
 地面についていた膝を浮かせ立ち上がれば、イグリットも同じく立ち上がり、二人同時に剣を向ける。
「今度は負けないから」
 自信に満ちた旬の言葉を合図に地面を蹴る。

 再び廃墟に金属の打ち合う音が響き始める。
 それは長く長く続き、夜の闇が深く沈む頃まで鳴り止むことはなかった────。


初出:2024.01.31

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