top of page

Chevalier seulement pour moi

※シーズン2のネタバレがあります。ネタバレNGの方はブラウザバックでお戻り下さい。


 土煙の舞う、かつては大都市だった街を見下ろし、今の戦況を分析する。
 一夜にして荒廃した街は瓦礫と化し、至る所で黒い煙が燻り、辺り一面に鼻を突くような焦げ臭い匂いが立ち込めている。
 S級ゲートのダンジョンブレイクにより現れた多数の巨人によって、無残な姿にさせられた都市。幸いにしてダンジョンブレイクの起きるタイミングは予め分かっていた為、住民の避難は既にほぼ終わっており、人的被害は最小限に抑えられた。
 DFCを襲った巨人は全て旬が一掃した。
 各国から集められたハンターたちがどれだけ束になっても、殆どダメージを与えることができなかった巨人をいとも容易く殲滅していく。DFC以外のその他の都市を襲撃していた巨人たちも旬の影らによって、ほぼ壊滅的になっていた。
 巨人たちによって制圧された都市は旬によって瞬く間に奪還される。その光景は人々にとって唯一の救世主とも見えた。
 しかし旬にとってそれは何の関心にもならない。巨人を制圧することは、自分のレベルを上げる手段にならず、巨人族を傘下に入れる為に付随しただけのものだった。
 勿論、何の罪もない人々がモンスターに蹂躙される姿を放っておく程非道な性格ではないので──寧ろ旬自身が思っているよりもずっと他人への思い遣りは強い──モンスターに襲われている人を見つけては、優先的に救助していった。


 DFNへ訪れて数日、首都にいた巨人をほぼ制圧し、当初の目的であった影抽出も滞りなく行うことができた。他の都市に移動している巨人たちも現在順次抽出して行っているところだ。全ての巨人を抽出することは不可能かもしれないが、この分だと大幅な戦力アップになりそうだと、眼下に広がる光景を眺めながら旬は満足気に口角を上げる。
 人型の影から獣族、オーク、蟻、ナーガ(蛇)族。
 それに加え、新たに十数体の巨人族。
 目の前に広がる光景は圧巻というより他になかった。
「壮観だな」
 全て旬自身が抽出した影ではあったが、一体どれだけの数を抽出したのか、ステータスウインドウで確認しなければ自分でさえ把握できない程だった。
 思えば初めてスキルを習得したのが数ヶ月前。あの頃は抽出できる影の数は三十体、保管も二十体までしかできなかった。
 それでも自分以外の戦力、しかもマナがあれば何度でも甦る不死の兵を獲得できたことへの興奮は今でも鮮明に憶えている。
 あれからレベルも上がり、その度に保有できる影の数も増えていった。その中には上位ランクの影も少なからずいた。ナイト級以上の影には名が付けられ、他の影とは一線を画す存在でもある。
 旬自身も彼らは特別な存在であり、戦略を立てる時は常に彼らを中心に考えていた。
 勿論、名付きの中にもランクはある。
 その上位が将軍級であるベルであり、名付きの影たちが束になったとしてもベルに勝てるかどうか怪しい程、戦力差が歴然としていた。
 しかも影の中で唯一、人間の言葉を話すことができる。これは影らと意思疎通を図る上でも重宝した。
 戦力も申し分なく、意思疎通も図れる。そうなればどうしてもベルを召喚することが多くなった。
 今回の巨人討伐でもベルの率いる蟻軍団はどの軍よりも討伐数が多かった。元々蟻は群れる生物だ。組織を形成し、動くことを得意とする。攻略範囲が広くなればなる程、組織の統率力は重要となる。
 そんなこともあり、自ずとベルへの指示が多くなってしまうのだった。
 しかしだからと言って他の影たちを蔑ろにしているわけではない。ベルにタンク(盾役)の役割をさせないのと同じように、彼らには彼らの得意とする役割がある。
 彼らの得意とする攻撃スタイルを把握し、それを戦略に活かすことが旬の君主としての役目の一つだと思っていた。
「ここまで来るのにも色々あったな」
 引き続き眼下に広がる光景を眺めながら再覚醒後の自分の歩んだ道のりを思い出し感慨に耽っていた。
 思えば旬がハンターになろうと決意したのは母の医療費を稼ぐ為だった。学生である妹に負担を掛けさせるわけにはいかず、しかし医療費は決して安くはない。まともに働くだけでは返済できる金額ではなく、必然的に強くもない旬がハンターとして生業を持たなければ医療費を賄うことも、その日暮らしていくこともできなかった。
 何をするにも険しく厳しい道のりだった。ハンターを辞めたいと思ったこともあった。しかしその度に病室で目を開くことのない母の顔が、何かに取り憑かれたように勉強をする妹の姿が脳裏を過ぎり、結局ダンジョンへと足を向けていたのだった。
 だから、漸く母の病を治すことができた時は思わず涙が流れた。今までの苦難が報われたと思ったからだ。家族揃ってまた穏やかな日々を過ごすことができると思っていた。
 けれども、ここまで来る間に色々なものを得ては失った自分が、以前のような暮らしができる筈がないことに旬は痛感した。
 母が病から戻ってきたそれと引き換えのように今度は妹がモンスターに襲われ、心的外傷後ストレス障害を患ってしまったのだ。
 旬が側にいることで周りにいる人たちに危害が及んでしまうのかもしれない。そう思うようになった。妹のこともオークが妹から旬の魔力を感知したが為にターゲットにされたのだ。もしかしたら自分がいない方が周りの人たちにとっては幸せなのかもしれないと考えてしまった。しかし、それでも離れることはできなかった。それよりも何があっても、どんなことをしてでも守ろうと思う力の方が強かった。勿論それには旬だけの力では限界があり、旬が大切な人たちの手が届かない場所にいる時は影たちの力が必要だった。
 影たちはいい。
 従者として仲間にしたが、守るべき存在とは違う。彼らは旬と同じ、守りたい者を守る存在だった。
 主君である旬を守る存在であり、旬が守れと命を下せば、忠実に遂行することができた。
 一時期、旬は人間不信になりかけたことがある。今も近しい者意外は信用しないようにしている。何故なら、身を持って経験しているからだ。人間は土壇場になれば他人など一瞬で裏切ることができる生き物だということを。勿論、そうでない者もいることも知っている。けれどもそんな人は希少だった。
 だから裏切ることのない影は旬にとって肉親以外、唯一信じられる存在だった。
 そして、その中でも絶対的信頼を寄せることのできる者がいる───。

 空気が動く気配がした。
 眼下を見下ろしていた旬は気配のする方へと視線を移せば、視界に広がる漆黒と、対比するように風に細く靡く深紅のプルームが映る。
 近過ぎず遠過ぎない場所で旬に傅く姿は、始めの頃から変わらない完璧な従者の姿。
「ご苦労だった」
 旬の言葉に小さく首を動かす。反応が薄いのはいつものことであり、旬も気にすることはしない。何故なら今の反応だけで、イグリットが自分の言葉に歓喜していることが旬には分かっていたからだ。
 イグリットは他の影とは違い、あまり自分の感情を表に出すことをしない。生前の彼の性格そのままなのか、騎士という職業柄そうさせているのかは分からないが、どんな時も冷静に旬の命令も労いも遂行し受け取っていた。
 最初の内はその淡々とした態度に困惑したこともあったが、いつしかその態度にも慣れていった。そうすれば逆にイグリットの少しの反応だけで何を思っているかが分かってくる。それは感情を表に出すことがないだけで、心が冷めているわけではなく、他の影たちと同じように歓喜する心も激する心も身の内にあることが分かった。
「他の皆はまだ戻って来てないのか」
 旬の言う他の者とは名付きの影たちのことだ。
 彼らには旬から直々に攻略の指令を出していた。
 イグリットはその中でも比較的DFCから近いエリアの攻略を指示していた為、他の影たちよりも早く旬の下へ戻ってくることができたのだろう。
 旬の言葉に再度首肯するイグリットに、旬も軽く頷き、そのままイグリットの近くまで歩んで行く。
「戦闘でお前と二人きりになるのは、最初の頃以来だな」
 他の影たちがいないことで旬の声音が少し柔らかくなる。本人は気付いていないが、ずっと旬の側にいたイグリットには、旬の感情の変化を素早く察知することができる。今回はきっと影として初めて召喚した頃を懐かしんでのことだろうと。
「初めてお前と対峙した時、震えが走った。お前から二重ダンジョンで遭遇した神像と同じ威圧感を感じたから。勝てるとは思わなかった。お前が剣を置いて、俺と同じ格闘技で挑んでくれてなきゃ、きっと負けていたと思う」
 あの時イグリットが何故旬と同じ戦法を取ったのか未だに分からない。レッドゲートで影になった後のイグリットの戦いを見ても、当時の旬ではまだ敵わない程のレベル差だった。旬を倒すことを目的としたクエストであれば、拳なんかを使わず、最初から最後まで剣を使っていた筈だ。しかしそれをしなかったということは、何かしら理由があったのだろうと推測する。例えば、転職の為のクエストであり、旬を倒すことを目的としないから。はたまた、システムがイグリットを最初から旬の仲間にさせることを前提としていたからか。
 考えれば考える程、憶測ばかりが先に立ち、本当のことは闇に隠れたまま、それこそ設計者を捕まえて洗いざらい吐かさなけば何も分からなかった。きっとイグリットを問い質したとしても知らないか、知っていたとしても他のモンスターたちと同じで、システムの干渉が入ることは目に見えていた。
 ただ、一つ言えることは、あの時旬は何かの力で生かされた。そして予定調和とも言える、誰かに望まれたように影の君主となった。
 お誂え向きに、倒したモンスターの死屍を直ぐに抽出でき、配下に迎えることができた。手にしたスキルを難なく使いこなせていく事実に、旬の中で実感と高揚感が募っていく。
 そして、その後もダンジョンに入る度に影を抽出していく。
 旬のレベルが上がると保有できる影の数も増えていく。始めの頃は数十体だったものが数百、数千となり、先日の設計者によって見せられた魔界での過去の戦いの記憶により一気にマナ量が増えた。と、それと同時に保有できる影の数も大幅に増えた。
 影のランクも当初に比べると随分上がった。レベルが上がり経験値上限によりランクの上がった影も多いが、倒したモンスターから抽出した影の初期ランクも上位のものが多かった。それについてはランクの高いダンジョンを攻略することが増えたことと旬のレベルが上がっていることが関係しているのだろう。
 実際、レベルが上がるにつれて影の抽出に失敗することはほぼなくなっていた。始めの内は旬のレベルも低く、抽出できなかったモンスターもいた。
 例えば、レッドゲートで倒した白鬼のバルカは、旬だけでは倒すことができないレベルであった為、抽出することができなかった。
 他にも抽出することはできたが、生前のその人の人となりが影響していたのか、直ぐに抽出できなかった影もあった。旬のレベルに関係なく、抽出対象とした者の意思も関係するのかもしれないと、その時初めて気付いたこともあった。
「お前もそうだったな」
 イグリットの正面で足を止めた旬は、傅くイグリットの前に右手を差出す。
「二度、俺の声を拒否した。お前よりもレベルの低かった俺の下に跪く気はなかった筈だ。それなのに俺の下に来た」
 当時のイグリットであればあのまま拒否することはできた筈だ。一度ならず二度も旬の声を拒否したのだ。旬でさえ無理かもしれないと思った。
 けれどもどうしても諦めきれなかった。
 重厚な扉の奥でただ一人、誰も座ることのない王座を守り続けるイグリットに苛立ちを覚えた。否、イグリットに対してではない。自分はもうこの世にはいないくせに、王座を守らせることでイグリットを束縛している王座の主に嫉妬にも似た怒りが湧いた。ここにいる筈のないイグリットの主だった者が嘲っているように思えたのだ。アレの忠誠心は自分のものだと、自分以外に傅く筈がない、誰にも渡しはしないと、イグリットの躰に纏わり付く執念が見えた。
 だからその楔を断ち切ってやりたいと思った。
 いなくなった者の為にこれから先も王座を守るのかと。どれだけ待ってもお前の元に返ってくることのない者の為に、気の遠くなる程の時を朽ち果てるまで一人ここにいるのかと。
 俺だったら自分に尽くす者をこんな場所に一人で留めて置くことはしない。俺に刃を向ける者からお前のその剣で守ってほしい。

「起きろ」

 祈るように心を込めた言葉はどんな風にイグリットに届いたのだろうか。
 黒い影がイグリットの躰から立ち込めた時、抑えきれない感情に、気付けば口角が上がっていた。王座の主に対してこれ以上ない優越感が身の内を襲った。
 今からイグリットの主は自分だと、旬は視線の先にある王座を見据えながら心の中で宣告したのだった。
 沈んでいた思考を浮上させると、そこにはあの時と少し姿が変わったイグリットがいる。
 ナイト級から精鋭ナイト級に上がったイグリット。レベルが上限に達したら次のランクに昇給できる。今のランクになってから少し経つ。その間も絶えずモンスターを狩り、レベルを上げていった。次のランクに上がる為のレベルがどれだけなのかは分からないが、もし昇級可能なレベルになった時、次は将軍級になるのだろうか。それともまだ他のランクがあるのだろうか。
 将軍級であればベルと同じランクになる。そうなればイグリットも人の言葉を話すことが可能なのか。そう思った途端、旬の胸が高鳴り、自分がそれを期待していることに自覚する。もし言葉を発することができたなら、一番初めに聞きたいことは旬の下に降った理由だろうかと自問する。自分よりもレベルの低い人間の配下となることを許した理由は何だったのかと。
「お前が言葉を話せるようになったら、聞きたいと思った」
 視線の先でゆらゆらと揺れる紅いプルームを眺めながらイグリットに言う。
「今の影の中で、お前だけが抽出時に俺を拒否したから」
 そう、今までだったらあの時の理由を聞きたいと思った。
 けれど、今となってはそのことについて強く聞き出したいと思う程の気持ちはなかった。自分でも心境の変化が不思議だったが、きっと今のイグリットを見ていると過去がどうであったかなんてことは、気にする必要もないことなんじゃないかと思えてくる。
 それ程イグリットは旬に対して誰よりも強い忠誠心を見せていた。
「二度も拒否したのに、何故配下になろうと思ったのか聞き出したいと思った。だけどもうそんなことはどうでもよくなった」
 先程と同じように旬を拒否したと言うと、イグリットが若干焦ったような仕草を見せてくる。きっと自分の忠誠心を疑われていると思ったに違いない。
 そんな疑問なんて当の昔になくなっているのに。
 見下ろすイグリットの顔を覗き込み、旬は流れるプルームを軽く引っ張る。その合図でイグリットは傅いた姿勢を崩し、旬の前に直立する。
 今度は見上げる状態となった旬だったが、気にすることなく再度プルームを引っ張り、イグリットを自分の方へと屈みこませる。
「過去のお前がどうであれ、今お前が俺に見せてくる執着が全てだから」
 忠誠心なんて生温いものじゃない。それよりももっと重い、此方の感情を焼き切るような熱と欲を向けてくる。
 そうだろ?
 そんな感情を向けてくる者をどうして疑うことができるかと。
 蠱惑的な笑みを浮かべながらイグリットを見上げる。すると肯定するようにイグリットは周りから見えないように旬の腰に手を回す。
「だから過去を気にすることはやめた。俺の手を取った時から、お前は俺だけのものだ。あの時、俺を守れと言った言葉は今も有効だ」
 旬も自分たちに意識を向けている者がいないことを確認してイグリットに身を寄せる。
 折りしも断続的にゲートから流れてくる魔力の風にイグリットのマントが煽られ、旬の身体を周りから隠してしまう。闇が旬の視界を覆っていく。それが心地良いと思ってしまう自分は、きっともう過去の自分には戻ることはできないのだろう。それならば────、
「これからもずっと俺を守れ」
 大切な人を守る為なら、あの温かな場所に戻れずとも、人として生きていけないことも甘んじて受けよう。けれども、己の心を掻き攫っていったイグリットだけは手放すことはできない。
 しかも初めて対峙した王座の間で差出した手を取ったのはイグリットの方だ。だからその代償は自分が朽ちるまで尽くし共にあることだ。
 傲慢とも言える旬の言葉に、それでもイグリットは視線を外すことなく旬にしか分からない感情を乗せて目を細める。
 互いの欲が交叉する。
 イグリットの指が今までよりも更に強く旬の腰を掴む。旬の背中がゾクリと震え、絡んだ瞳の輪郭がとろりと溶ける。
 風は未だマントをはためかせている。
 ただ、深紅のプルームだけは風に靡くことなく、マントに隠れるように引っ張られている。
 そしてそれに引き寄せられるように、イグリットの面もまた、プルームを追って下へと角度を下げていったのだった────。


**********
Twitterフォロワー様からのリクエスト。
旬がイグリットを影にする時の「俺のために──」って台詞からのイグ旬。
旬を拒否ったのがイグリットだけ(美濃部さんは解除されたからカウントせずで)なのと、旬が懇願するように手を差し伸べて影にしようとしたのはイグリットだけ!! イグ旬推しのお方たちなら絶対滾りますよね!! ここだけでも旬にとってイグリットは特別だと分かる!!! 旬にとってイグリットはそんな特別な影なんだってところを現せれたらいいなって思ったのですが、上手く表現できたかどうか…。
イグ旬の馴れ初めは以前も書きましたが(「月影に惑う」)、仲間が増えたことで再度旬には転職クエストでのことを思い出してもらおうと思って回想っぽい感じで書いてみました。
あと旬にはイグリットを束縛していた王座の主に嫉妬してほしいなぁって思ってます。
リクに合った話になっているかは分かりませんが、イグ旬馴れ初めは何度書いてもおいしかったです!

初出:2021.04.09

bottom of page