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Bonbon a la liqueur

「お前たちも此方側の物を食べたりすることってできるのか?」

 以前、主からそんなことを聞かれた覚えがある。
 その時は問われた内容の意図が分からず、それでも問われたことに対してははっきりと答えることができたので、躊躇うことなく首を縦に振った。
 そもそもダンジョン内でモンスターを狩っている際に、人型以外の影たち(特にアリ)は主の命令がなければ勝手にモンスターを食してしまう。しかも命令されていたとしても早々に忘れてしまうのか、倒したモンスターをそのまま食しているアリたちと少なくない頻度で出くわすことがある。その度に吐き出させたりするのだが、大体が主に見つかり容赦なく制裁を下されていた。しかし、それでも懲りずに度々主に仕置きされているところを見ると、あれらの学習能力は思った以上に低いのかもしれない。
 と、それはさておき、そんなアリたちの様子を見た主がもしかすると形あるものも摂取することは可能なのかもしれないと思っての問いだったのかもしれない。
 我々は人間界の生物のように腹が減るわけではない。モンスターを食す行為はどちらかといえば魔力増幅の意味合いが強い。特に魔石を持っているモンスターは得てして魔力量が高いものも多い。その為、知能値が少し低い影はその誘惑に勝てずに勝手に食してしまうのだ。まあ、その結果どうなるかは言わなくても察せられるだろうが。
 と、話を戻す。
 そんな主とのやり取りを思い出したのも、今まさに主に喚び出され目の前に小さな箱を差し出されたからだ。
 時刻は宵を過ぎ、夜更しんこう深く闇が足下から上がってくる頃。月は西の空に細く静かに輝いている。
 ダンジョン攻略時以外、あまり我らを喚び出すことのない主が珍しく名を呼んでくる。
 夜中ということもあるからか、主の声は常よりも抑えられた、闇に紛れる程の小ささだったが、自分にはその声はどんな音よりもはっきりと聞こえる。
 戦闘時は凛とした全ての者を従えさせる支配者としての声であるのに、こんな静かな夜に聞こえる主の声は、湖水に映る月のように静謐な響きを持ち、闇の中に溶けていく。
 主の足元に跪く自分に、最近では誰もいない二人だけの時は主も腰を下ろして、自分の目線に合わせてきて下さる。
 初めは畏れ多くて体が固まり反応できないでいた。
 しかし主が自分にだけ寄せてくる柔らかな感情に、いつしか手を取る許しを得た。
 疑うことなく飛び込んできた、主のしなやかな身体を抱き留めてからは、今宵のように自分に合わせて腰を下ろされた主の身体を膝の上に導き、安寧の夜を共に過ごす日々が増えた。
 気持ちを頂いただけでも身に余る光栄であるのに、この夜は更に主から小さな箱を下賜された。
 ただ、差し出された理由が分からず、先を促すように主の顔を伺うと、頬を朱に染め此方を見上げる瞳を見てしまい、胸の辺りが途端に騒めいてくるのが分かる。
「こういうことは慣れないし、今まで関心がなかったんだけど、今日は大切な人に贈り物をする日で、一緒に過ごす慣わしがあるって聞いたから」
 イグリットと過ごしたくなったんだ。
 そう囁いてくる主は本当に慣れていない様子で、はにかみながら人間たちが祝う記念日の一つだと自分に教えて下さる。
 贈り物と言われた小さな箱を丁重に受け取る。
 手のひらに乗るくらいの四角い深い藍色をした箱に、サラリとした触り心地の、幅の細い紐状の織物が綺麗に結ばれていた。
「別に食べ物じゃなくても良かったみたいなんだけど、他に思い付くものがなかったから」
 駄目だったら返してくれていい。そんなことを言ってくる主に、返すなどと有り得ないと心の中で反論する。
 どんなものであっても主から下賜された物がいらないなど思う筈がない。
「それよりも開けてみないのか」
 そんな態度が表に出てしまっていたのか、主が気恥ずかしそうに箱を開けるように促してくる。
 自分としてはもう少し余韻に浸っていたかったのだが、主にそう言われると中身が気になってきて、慎重な手つきで結ばれていた織物を解き、箱を包む紙を外して蓋を開いた。
「!」
「チョコレートって知ってるか? カカオって言う植物の種子を使って、砂糖やバター、ミルクなんかを混ぜて練り固めたお菓子なんだ」
 そう言えば、最近人間界のものに興味のあるベルから菓子という甘い食べ物があると聞かされたことがあった。その中にチョコレートという暗褐色をした、口の中に入れるとすぐに溶けてしまう菓子のことも言っていたのを思い出したが、これがそのチョコレートというものなのか。
 丸みを帯びた指先程の大きさで、ツルリとした光沢があり、暗褐色と暗い深紅の色をした二種類のチョコレートが綺麗に並べられていた。
「こっちのものを食べられるって言っても味覚があるわけじゃないんだよな?」
 物珍しく眺めていた自分に主が神妙な顔をして聞いてくる。
 主が言うように我らには備わっていない感覚がある。見たり聴こえたりする感覚、剣を持ち、相手に触れた時に分かる感覚はあるが、生あるものと同じような味覚や嗅覚といったものは存在しない。
 だからチョコレートの見た目や感触は分かっても、味や匂いと言ったものまでは分からなかった。
「でも俺の魔力を込めて作ってみたから……」
 まさか主自ら作られたものとは思わず目を見張ってしまう。思わず一粒手に取りまじまじと見てしまっていたら、主の恥ずかしそうな声と共に、横から指が伸びてきてそのまま口の中に入れられてしまった。
 体温のない自分の口内ではベルが言ったように溶けることはなかったが、奥歯で噛んでみると中からトロリとした液体が溢れ、それと同時に主の魔力を体内に感じた。
 幾度と感じた主の魔力が体内を巡る。魔力量はそれ程多く含まれていないが、自分の体から力が漲るのと精錬された魔力にくらりと頭が痺れたような感覚を覚えた。
 咄嗟に主を支えていた腕に力を入れてしまったからか、自分の状態を主が心配そうに見てくる。
「大丈夫か!? すまない!コントロールが難しくて魔力の量が多かったのかもしれない」
 何かの器に魔力を込めるには、それなりの魔力の調整が必要となってくる。それが小さなものであればある程高度な技術が必要となる。
 主の魔力は膨大だ。一滴込めるだけでも繊細な技術が必要となる。そんな神経を使う繊細な作業を自分の為に行ってくれたのだ。湧き立つ感情を抑えることができなくなる。
 どうにか衝動を抑え、感謝を込めて主の手の甲に唇を寄せると、嬉しそうに微笑んでくれる。
「良かった。こういうのはやったことがなかったから、上手くできるか不安だったんだ」
 無防備に自分に身体を預けてくれる主が愛しくて堪らない。
「イグリット」
 名を呼ばれるだけで心が満たされ、温かな気持ちにさせられる。
 こんな時間が永遠に続けばいいと欲深な想いさえ抱かせる。
「これからもずっと俺だけの騎士であってほしい。俺をもっと愛して、もっと求めて……」
 どこかで線引きをしなければならないのに、自分のそんな気持ちに釘を刺すように甘い叱責が自分を優しく詰る。
 主の瞳を見れば、感情を抑えようとする自分を非難する色と、もっと触れてほしいと望む熱の篭った色が浮かんでいた。そんな瞳を真正面から見てしまえば、抑制していたものを抑えることができず、膝上で抱えていた主の身体を引き寄せ抱き締める。
「それだけ?」
 口角を上げ挑発するように言ってくる主。
 それに乗った自分は、笑みの浮かんだ主の唇に己の唇をそっと寄せる。
「?!」
 唇が重なる前に一つ、チョコレートを主の口の中へと入れる。
 驚いた主を他所に、そのまま唇を塞ぎ、驚いた拍子に僅かに開いた歯列の間に舌を挿し入れる。
 自分の口内では溶けることのなかったチョコレートが主の温かな口内では直ぐに溶けていき、中に入っていた液体がとろりと溢れてくる。
「あふ……っ」
 溶けたチョコレートを飲み込みきれなかった主の口内から舌で絡めて、己の口内へと主の舌先も絡めて此方へと招き入れる。
 味覚を感じることはない筈なのに、この時だけは花の蜜のような香りと舌先に濃厚な甘露を感じた。
「あまい……」
 主の声に同意する。
 残るチョコレートの名残を舌で舐め取れば、どちらともなく再び唇を寄せ、互いの舌を今度は深く絡めていく。
 薄く輝く三日月の闇夜にひっそりと響く秘め事の音色。
 いつもより広がる影は濃く、長くその場を動くことなく闇を映していた────。


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VDイグ旬です。
イグ旬はやっぱりしっとり甘々がいいかなーとか、チョコレートの甘さが分からないイグリットだけど、旬から贈られた(贈られた、ね)チョコレートの甘さはだけは分かっちゃうのいいかもって思いながら書きました。
イグリットはこの後、影の世界に帰ってベルに見つかり、何故貴様から主の魔力を感じるんだー!! って問い詰められるのですが、きっと素知らぬ振りをしたと思われます。

初出:2021.02.16

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