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甘えたい心

 貴方に甘えたい。
 甘やかしてほしい。

 それに、

 貴方を甘やかしたい。
 甘えてほしい─────。


 恋人同士になれば誰もが一度は持つ、欲というにはあまりにも可愛らし過ぎる願い。望み。
 漸くイグリットと想いを交わすことができ、少しずつではあったけど甘やかな時間を過ごすことができた。
 世間一般の恋人たちのような付き合い方はできないけど、イグリットと二人きりでいるだけで胸の辺りが温かくなる。
 だけどあまりにも二人で過ごす時間が嬉しくて、気を付けなければ目尻が下がり口元が緩んでしまう自覚があるから、そんなだらしない顔を見られたくなくて、気が付けば彼の胸元に顔を押し付けてしまっている。
 甘えてる自覚はある。
 でも本当はもっと甘やかしてほしいって思ってる。
 何でもない時に無性に会いたくなることはきっと誰にでもあることだって思ってる。自分もその中の一人で。
 さっきまでダンジョンで共に戦っていたし、少しの間だったけど抱き締めてくれて、周りに隠れてキスもした。それなのにイグリットを自分の影に戻した瞬間寂しくて、会いたくて仕方がなくなる。どうにかして、気を紛らわして我慢してみたけど、自室で何もすることなくベッドの上でクッションを抱えていたら、益々会いたい、甘えたい欲求が溢れ出そうとする。
 こんな感情は今まで持ったことがないから、どうすればいいのか分からない。
 周りの恋人たちはこんな時どうしているのか。
 電話で声を聞く? メールをする?
 それとも夜中だろうが相手の家に押しかける?
 そのどれも自分たちには当て嵌まらない。当て嵌めることができない。
 だったらどうしたらいい?
「イグ……」
 イグリットを求める時に無意識に出てしまう彼の名前。いつもはイグリットと呼ぶのに、彼を求めてしまう時にだけ出てしまう幼い呼び方。
 自分の影なんだから気にすることなくいつでも喚べばいいと言われるかもしれない。だけど本当に喚んでもいい?
 だって何かあって喚ぶわけじゃない。
 ただ会いたくて、顔を見たくて、抱き締めてほしくて喚ぶだけに、呆れられるんじゃないかって思ってしまう。
 それに青春真っ只中な学生のように、こんな感情がぐるぐる胸の内に渦巻いているのが恥ずかしくて、抱え込んでいたクッションを益々抱き潰してしまう。
 ベッドの上で大の男がクッションを抱き締めて悶えてる姿なんて誰にも見せられない。ここが自室で良かったって思っていたら、何故か抱えていたクッションがスルリと抜き取られ、その代わりに自分を抱き締める腕が目の前に現れる。
「え?」
 状況が分からず思わず視線で腕を辿っていけば、そこには今もずっと頭から離れない、会いたくて仕方なかった顔がそこにあった。
「何で……? 俺喚んでないのに……」
 まさかさっき呟いた声を聞いて出てきてくれたのだろうか?
 そう思っていたら、此方の言いたいことが分かったのか、イグリットの首がそうではないと横に振られる。
「それじゃあ……何で……ぁっ……んっ」
 疑問を口に出そうとすれば、その唇をゆっくりと塞がれる。精悍なイグリットの顔が間近に見え、ドキドキと心臓が高鳴る。
"私が会いたかったのです……"
 互いの粘膜を介して思考を伝える術。
 いつの頃からかイグリットとだけできる精神感応。と言うより、互いにキスを交わして初めてできることに気付いただけ。他の人間や影とは勿論試したことはないし、試そうとも思わない。こんなことイグリットとだけできればいい。
 これは彼と交わることのできる秘めやかな会話。
「俺だってイグリットに会いたかった」
 さっきまで何もなくても喚んでいいのか悩んでいたくせに、イグリットに先を越されたと思ったら少し悔しくなった。
 だから自分から彼の首に腕を回してもっとキスをしてほしくて目の前の唇をぺろりと舐める。そうすればイグリットの少し薄い唇が優しく啄んでくる。それこそ柔らかな砂糖菓子を食むようにゆっくりと何度も触れては離れてを繰り返す。
 影という実体のない存在だから、抱き合っていてもイグリットから匂いがすることはないのに、不思議にこんな時はいつも甘やかな匂いが立ち込める。落ち着いた、甘い中にも少し苦味のあるイグリットのイメージそのものの匂い。
「もっと……」
 自分の身体を難なくすっぽりと覆うことのできる腕の中で、優しく見つめてくる瞳と甘やかに啄む唇に自分の身体も溶けていくのが分かる。
 だけどもっと溶かしてほしくて強請る言葉を紡ぐ。イグリットが拒む筈がないと分かっているから、どんな我儘もこの時だけは言ってしまう。
 肩を抱き寄せられていた手が離れたことに、これからされることを期待していれば、その手で頬を撫ぜ顎を擽り、キスで濡れた唇を摘まれる。戯れるように摘んでくる指をそうじゃないと、少しの非難を込めて軽く歯を立てて噛めば、イグリットの目元が僅かに弧を描いたのが分かり、そこで揶揄われたんだと気付く。
「意地悪だ……」
 上目遣いで頬を膨らませその顔を睨めば、困ったようにキスをしてくる。赦しを請うようにあちこちにキスをしてくるイグリットが可笑しくて、拗ねているのが馬鹿らしくなって、仕方がないと鼻先にキスをする。
 鼻先へのキスは赦しのキス。二人の間だけで通じるキスの意味。
 ホッとするイグリットに、それなら最初から悪戯なんてしなければいいのにと思ったりしたけれど、イグリットが主君としてじゃなく恋人として自分を扱ってくれてるんだと思えば、彼の不器用な態度も愛おしくなる。
 甘えたいと思ったけど、こんなイグリットを見てしまうと無性に彼を甘やかしたくなってしまう。だけど自分よりもずっと大人な彼を甘やかすなんて、恋愛経験値の少ない自分には難しく、今できることと言えば、悄げる彼の頭を抱いてよしよしと撫でること。怒ってないことを証明する為に、さっきのイグリットと同じように軽いキスを顔中に振らせるのが精一杯。でもそんな行為が楽しくて嬉しい。
「こういうのって恋人との遣り取りみたいで嬉しい。イグリットに甘えたいって思うけど、それと同じくらいイグリットにも甘えてほしい」
 ちょん、と唇に軽くキスをしてにこりと少し悪戯っぽい笑みを見せる。
「だから今日は二人で甘えっこしよう」
 そうイグリットに言うと、そのままぎゅうっと彼に抱き付き、その胸元で目一杯息を吸い込んだ。
 鼻腔にさっき嗅いだ甘い匂いが広がる。
 身体の芯が溶ける感覚にふにゃりと幸せで表情が崩れてしまう。
 イグリットにも自分と同じ思いをしてほしくて、今度は彼の頭を抱えて自分の胸元に押し付ける。
「俺も甘えるけど、イグリットもいっぱい甘えて」
 目線を下げたところにある頭部を撫でながら言えば、数秒その態勢でいたイグリットに腰を掴まれ、その後は彼の腿の上へと乗せられ、再び抱き締められる。
 互いの顔が近くになる。
 指を絡め、ぎゅっと握った手を二人の身体の間に置いて、瞳を見つめる。
「次は?」
 イグリットからされる次の行為に期待が膨らむ。
 見上げる顔を近付ければ、期待通りのものが唇に下りてくる。
 甘えるように甘やかすように何度も交わすキスが心地良く、時間を忘れるくらい夢中になった。
 でも、舌を絡める頃になれば、もうどちらが甘えるとか甘やかすとか、そんなことは関係なくなってしまい、ただイグリットに触れたくて触れてほしくて。あとは互いの熱に深く溺れていく感覚に抗うことなく身を投げ出したのだった。

 結局甘えようが甘やかそうが、二人で過ごす時間が一番幸せだということ。
 熱を交わした後、イグリットの腕の中で微睡みながらそう思った────。


**********
突然イグ旬の甘々が書きたい衝動が降ってきたので、勢いだけで書いたもの。
ウチの二人って世間一般の恋人同士のようなこと全然やってないなーって思ったら居ても立っても居られなくなって、少しは恋人っぽいこともさせないと!! っていう謎の使命に駆られたのでした。
本当はもっと砂吐くくらいのいちゃいちゃ甘々が書きたかったのですが、これじゃあただのいちゃいちゃでしかなかったです……。
いちゃいちゃって難しい……。

初出:2021.08.23

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