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気になるアノコト

 現在、旬は悩んでいた。
 別にゲートのことでもギルドのこと、ましてや自分が何者なのかといったことで悩んでいるわけではない。否、それも旬の中にある悩みの一部ではあるが、今回悩んでいることはもっと個人的でかつ限定的で。有り体に言えば、先日晴れて想いを通じる合わせることのできた相手のことで悩んでいた。
 恋人と呼ぶにはまだ少し照れ臭さがあって、でも漸く自分の想いを素直に告げることができて、そして向こうも逃げずに想いを伝えてくれた。
 本当のことを言うと、まさか自分の想いを受け取ってくれるとは思わなかった。否、受け取ってはくれただろう。ただ、同じように想いを返してくれるとは思わなかった。何故なら相手から寄せられる想いはいつも忠誠と尊敬と畏敬の念だったから。だから、玉砕覚悟で想いを告げた。正直な気持ちが知りたくて。
 それなのに自分と同じ想いを返してくれた。誤魔化すこともできただろうに、それをせず、真っ直ぐな瞳を向けて手を取ってくれた。
 あの瞬間の歓喜を旬は生涯忘れることはないだろう。
 それはさておき。
 そのできたてほやほやの恋人のことで悩んでいた。
 晴れて恋人になったということは、恋人同士がするようなことにも勿論関心があるわけで。今までが主従という関係でしかなかったから、手を繋ぐのも抱き締められるのも、そのどれもが新鮮で毎回どきどきしてしまうのだけれども、やっぱりもっと深く触れ合いたいと思うようになってしまうのは自然の摂理だと思う。
 旬も成人した男性だ。今までは生きることに必死で余裕なんてなかった。だから、そういう衝動とか欲とかに全く関心が向かなかった。だけど、自分をさらけ出せることのできる唯一の相手と出会ってしまっては、今までなかった情動が湧き上がってきたとしても、なんら不思議なことではなかった。
 そして今、その相手が目の前にいる。
 家にある旬の部屋のベッドの上、イグリットを縁に座らせ、その膝を跨ぐようにして膝立ちで立って相手を見下ろしている。
 一般的に召喚獣と呼ばれる彼らは生物ではなく、無機物のように無表情で、一見すると表情がないように見えるが、実は表情がないわけではない。特に旬の召喚する彼らはアイアンを筆頭にくるくるとよく変わる。まるで言葉を喋ることのできないことを表情で伝えようとしているかのように喜怒哀楽がはっきりとしている。
 イグリットは他の影たちよりも表情は乏しいが、それでも旬には彼が何を考えているのか最近分かるようになってきた。今はさしずめ、自身の顔をじっと見つめてくる旬をどうすればいいのか困惑しているところだろう。膝の上に跨り、至近距離で見つめられる。抱き締めていいものなのかどうか。躰の横で所在なさげな手が拳を握ったり広げたりを繰り返している。
 抱き締めてくれればいいのにと思う反面、至近距離のまま抱き締められたら、きっとその流れでとうとう初めてのあれをしてしまうのかと思い、それを意識してしまえば心臓がどきどきと早鐘を打ってしまい、正常心を保つのに苦労してしまう。
 まあそれはそれで漸くといった感じで、旬もやぶさかではないのだが、ここで冒頭に戻るのだ。
 旬の悩み。
 それは、イグリットの口はどこにあるのかということだ。
 見下ろした顔には目はあるが口と思しき場所には何もなく、まるで仮面か兜の面頬で覆われているように見える。
 最初は影だから、言葉を話すことができないからかと思った。けれども、次に召喚したアイアンには人間のように目も口もあった。だから生前の姿が少なからず影響するのではないかと推測した。実際、転職クエストで対峙した騎士団長のイグリットは全身が甲冑に覆われていた。そうなると、やはりイグリットのこの顔は兜をかぶった状態ということなのだろうか。
(でも、そもそもアイアンは人間だったし、イグリットはシステムが作ったモンスターだ。人型というだけで、実際甲冑の中は何も存在しない可能性だってある)
 甲冑に精霊のようなものが取り憑いているのであれば、その精霊自身がイグリットということになるのだろうか。そうなればイグリットは姿どころか実態さえない状態になる。
(だめだ。考えれば考えるほど分からなくなってきた)
 余程難しい顔をしていたのかもしれない。眉間に皺を寄せた状態でイグリットの頬を両手で挟んで唸っていた旬だったが、その内、気遣うように大きな手のひらに触れられて我に返る。
「イグリット」
 片頬に触れる武骨な手。恋人同士になっても本質は変わらないのか、イグリットはいつも旬を気遣ってくれる。忠誠と尊敬と畏敬の念。それに柔らかで淡い情を含んだ感情が旬へと流れてくる。見下ろした先の面には変わらず表情は見当たらない。だけど、見つめてくる目の奥に隠しきれない感情を読み取ることができた。
(別にキスをする場所が口じゃなければいけないことなんてないんだ)
 イグリットに触れることができれば、それが互いの唇じゃなくてもいい。頬の上でも手の甲でも。旬がイグリットのことを好きだと伝えることができればいいのだ。
(でも……)
 それでもやっぱり初めてのキスは唇にしたい。唇がないのであれば唇があるであろう場所に口付けたい。
「イグリット」
 今一度、名前を呼ぶ。そのまま上から見下ろす恋人の顔に自身の顔を寄せれば、イグリットも旬が何をしようとしているのか察し、今まで宙を彷徨っていたもう一方の手のひらが腰に回され、引き寄せられた。
 生身の肌とも金属の甲冑とも違う不思議な感触が唇に伝わる。口付けた場所は、本来であれば唇がある場所。凹凸のないその場所に唇を触れ合わせ、少しだけ唇を尖らせ押し付けてからゆっくりと離す。
「本当は唇にしたかったんだけど」
 それだけ言ってから、再び口付けようとしたところで何故だかイグリットに止められる。
「どうして?」
 キスが嫌だったのだろうかと不安に思っていると、そうではないと首を振られる。それならば何故と言いかけたところで、イグリットが自分の顔を手のひらで覆う。何をするのかと訝しげに見ていると、次にこめかみ部分を反対側の指で押さえ、そのままあろうことか面の部分が上がったのだ。
「え……」
 呆然としている旬をよそに、今度はイグリットから顔を寄せられる。ふわりと先ほどとは違う感触が唇の上に落ちたのはすぐだった。
 柔らかな、旬の唇と同じもの。
 旬がした触れ合わせただけのキスとは違い、唇の上を優しく食むように何度も啄まれる。
 イグリットの手のひらは旬の後頭部と腰の上。
 再び引き寄せられて漸く我に返った旬だったが、それと同時に口内に進入してくるものがある。それがイグリットの舌だと気付いた時には、呼吸もままならないほどに深く深く唇を塞がれ、経験したことのないようなキスをされた後だった。
 ゆっくりと離された唇。息苦しさにうっすらと生理的な涙が浮かんだ目元。
 イグリットは何事もなかったかのように、再び面を下げ、いつもの姿に戻っていた。
 呼吸の戻らない息遣いの中、旬は恨めし気にイグリットを睨み付ける。
「顔があるなんて聞いてない……」
 結局、旬のただのひとり相撲だったということだ。いろいろと悩んだ自分が馬鹿みたいだった。こんなことなら初めからイグリットに聞けばよかったのだ。
 そして、無駄に狼狽してしまい、肝心のイグリットとのキスを心に刻む余裕もなく終わってしまった。
「信じらんない……」
 そんなことで、イグリットとの初めてのキスは驚きと恥ずかしさと居たたまれなさの、ない交ぜとなった、少しだけ苦い思い出となった旬だった────。


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久しぶりに力が解放される前のイグリットと旬の話を書いてみました。
最近ずっとモブ道ばかり書いていたので、イグ旬の甘々は本当に心が潤います。
去年は殆どモブ道原稿ばかりやっていましたので、今年はイグ旬も書いていきたいと思っています。抱負としましては、イグ旬本、モブ道後編、モブ道アンソロ、フェルムコWEB再録辺りを本にできたらいいなと思っています。
アニメも始まり、また界隈も賑やかになってくれると思っています。
旬は言わずもがな。イグリットがどんな風にカッコよく映像で動いてくれるのか今から楽しみで仕方がありません。私の大好きなシーン、レッドゲートの背中合わせの場面をどうか!どうか!!素晴らしい映像と音楽で演出していただけますようにと祈っています。
春にはゲームも始まります。
アニメにゲームに原稿にと、今年も忙しい一年になりそうですが、皆さまどうぞよろしくお願いいたします。

初出:2024年1月7日 COMIC CITY 大阪 125用フリーペーパーより

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