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夏的恋愛二十題より「1.薄着にドキッ」

 つい、と首筋を流れる一筋の汗を無意識に指で払う。しかし、それは気休めでしかなく、払った後からまた別の場所で汗が流れていくのを肌の上で感じる。
 夏は嫌いではない。
 だが、ここ最近の暑さは異常だった。
 何もしていなくても外へ出た途端、体全体から汗が滲み出てくる。喉が乾き水分を摂ろうものなら、それを糧としたかのように一気に汗が噴き出してくる。
 また首筋を汗が流れ落ちていく。
 少しでも暑さを凌げるようにと夏は通気性の良いリネンのシャツを着ているのだが、それも気休めでしかない。
 肌を伝う汗が気持ち悪くて指だけでなく、胸元のシャツを引き上げ、その汗を拭った。引き上げたシャツの裾から少しの風が慰め程度に掠めていく。それでも汗をかいた肌には涼しく感じて。
 先程からどうにか我慢をしていたが、限界が来ている。
 それにここは攻略されたゲートの外で、今は協会職員と我進ギルドのスタッフ数名しかいない。それも皆、男ばかりだ。何も取り繕うこともない。
 そう思ったら肌に張り付くシャツの不快さをより一層感じてしまい、結局着ていたリネンのシャツを脱いでしまう。それでも一応というか下にはスリーブレスのトレーニングシャツは着ているから裸になることはない。
 それなのに。
 旬がシャツを脱いだ途端、ざあ、と周りに黒い壁がそびえ立つ。否、壁ではなく影が旬を取り囲んだのだ。
「え、なに?」
 勝手に出てきた影たちに目を白黒させている旬をよそに、当の本人たちは隙間一筋も許さないとゆらゆらと揺れる影を旬の周りで広げていた。
 その内、頭上を照りつけていた陽射しがなくなり、旬の周りだけ日陰ができる。
「イグリット」
 頭上の影の正体はすぐに分かった。イグリットがマントを広げて日傘のように旬を翳していたのだ。
 陽が照りつけないだけで随分と涼しく感じる。
 影たちが何故一斉に出てきたかは謎なままだったが、少なくともイグリットに関しては、旬が日焼けをしないようにとの配慮なのだろう。
「ありがとう」
 そう伝えたのだが、イグリットの視線は上を向いたまま。
 いつもであれば旬の方へと向けてくれる隻眼はどこか別の一点をじっと凝視している。そこに何があるかは影たちの鉄壁で見ることはできなかったが、なんとなく何かを見ているわけではないように思えた。どちらかといえば、旬の方を見ないようにしているような。
「俺のこと避けてる?」
 その言葉に翳されたマントが少しだけ揺れた。
「イグリット?」
 そうっと目の前にある鎧へと体を寄せるが、同じ距離で鎧が離れる。
 半歩近付けば半歩離れる。
 一歩近付けば一歩離れる。
 それの繰り返し。
 だけど、頭上を翳すマントはそのまま。旬を見ない隻眼もそのまま。
「イグリット!」
 その内拉致が明かなくなった旬は、とうとうイグリットの胸に飛び込んだ。腕を広げて逃さないと胸に抱きつく。熱を感じない鎧の感触が頬と体の正面に感じ、そのままイグリットの顔があるだろう真上に視線を向ける。
『────っ』
 その瞬間、イグリットの声なき叫びが聞こえたような気がした。
「え」
 そして、それは一瞬の出来事だった。
 スリーブレスのトレーニングシャツ姿だった筈が、いつの間にかリネンのシャツを着た格好に戻り、どこから出してきたのかベルとキバが旬の手にスポーツドリンクと細かな氷の入ったカップ容器をそれぞれの手に無言で持たせてくる。加えて首にはひんやりとしたタオルをかけられて、あっという間に彼らはまた出てきた時と同じく急に旬の足元の影へと戻っていったのだった。
「あ、水篠さん!」
 真っ黒な影がいなくなったことで、ギルドスタッフが旬を見つけて声をかけてくる。
「何があったんですか?!」
 周囲にいる者が皆、突然の影の奇行に若干怯えつつ、旬に理由を問いかけてくるが、旬だって分からない。いったい、さっきの彼らの行動はなんだったのか?
 それでも彼らの暑さ対策で少しは涼が取れた。イグリットによってきっちり着込まされたシャツは若干暑かったが、両手が塞がっていて脱ぐことが叶わなかったが。
「水篠さん、車回してきました!」
 スタッフの声で考え込んでいた意識をそちらへ向ける。そのまま空調の効いた車へと乗り込めば、ほっと体が弛緩し、結局影たちのことは有耶無耶のまま、我進ギルドの事務所に戻るまで、熱の篭った体を休めたのであった。

 旬は知らない。
 シャツから覗く無駄を省いた筋肉の付いた体に四方から視線を寄越されていること。
 それらの視線から影たちが旬を隠していたことを。
 そして、更にもうひとつ。
 イグリットに抱きついた時にスリーブレスの布地がたわんで、胸元から淡色の先端が可愛く覗いてしまっていたことを。
 それをうっかり見てしまったイグリットが盛大に狼狽えていたことを。
 いまだイグリットの声を聞くことのできない旬が気付くことはなかった。

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Xで2024年8月1日の「やおいの日」企画で先着5名様にリクエストを伺ったもののひとつ。
お題は、お題配布サイト「TOY」様よりお借りしました。

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