── 沖の屋
しゃっくり
「…………っく」
空調音だけが聞こえる静かな部屋で、不意に息を詰めるような小さな音が空気を震わせた。一度だけ聞こえた音は、その後聞こえなくなり、部屋にはまた静かな空気が流れていく。レースカーテンの間から射し込んでくる柔らかな陽射しが午後の穏やかな時間を更にゆったりとした気分にさせてくる。
それなのに、
「……っく」
再び音が聞こえる。今度は先よりも間隔が短く、そのうち息の詰めるような音が断続的に聞こえだす。
「…………っ、………ひっ…………ひっく…………っ…………っああもおっ!」
自然と止まるだろうと気にしないでいた旬だったが、どれだけ経っても止まることのない音、自分の口から出てくるしゃっくりにとうとう集中力が切れて思わず声を上げてしまう。
「水、水を飲もう」
しゃっくりを止めるには水を飲むといいと昔から言われてきた。それに今までもその方法でしゃっくりを止めていたのだから今回もそれで処置できると思っていた。
リビングのソファで賢太に渡された我進ギルドに関する報告書を読んでいた旬は、いったん書類をテーブルへと置き、水を飲む為にキッチンへと向かう。勿論その間にもしゃっくりは止まらず、何度も小さな空気音が喉から出てくる。
シンクの上に置いてあった、乾かされたグラスに水を注ぎ、ゆっくりと飲んでいく。大抵は一杯飲み干せば治まるのだが、どうやら今回のしゃっくりは少ししつこいようで、一杯飲み干しても止まることはなかった。そうなれば、もう一杯と更にグラスに水を注ぎ飲んでいくが、それでもどうしてだか止まってくれそうになかった。
「しつこいな」
あとは何秒か息を止めて治す方法もある。
ひとまず持っているグラスに再度水を注ぎ、そのままソファまで戻る。その間も息を止めて、なんとかしゃっくりを止めようと試みる。
それなのに。
「っく」
努力は報われない。
テーブルの上にグラスを置き、書類に目を通そうとするも、止まらないしゃっくりが気になってなかなか文字が頭に入ってこない。急ぐものでもなく、ただの報告書ということで、仕方なく書類から離れ、先にしゃっくりを止めることを優先することにする。
しかし、だからといってすぐに止まるようなら苦労はしない。息を止め、水を飲もうも、治まる兆しを見せないしゃっくりに溜め息を吐きそうになる。
「なんで止まらない……」
ソファに背を預け、独り言ちる。もしここに妹の葵がいれば、面白がって旬をびっくりさせて、しゃっくりを止めようとするかもしれないが、あいにくと今日は母と共に外出中である。夜まで帰って来ないと言っていたので、家には旬一人しかいない。ならばと、旬も散歩がてらに外へ出て気分転換でもすれば、しゃっくりも止まるかもしれない。
ひとたび思えば、それが最善のような気がしてくる。
善は急げ、と書類をインベントリに戻し、鍵と財布を取りに自室へいこうとソファから腰を上げたところだった。
『王よ!』
足下からにょっきりと黒い触覚が生えてきたかと思えば、先のレイドで影の保存で使役したばかりのベルが勢いよく現れ、リビングのフローリングの上に片膝をついて跪いてくる。
「どうしたベル?」
ベルは旬の影の中で唯一人語を喋れるモンスターだ。元々喋ることができたのか、〝将軍級〟といった階級だからなのかは今の状況では分からない。分からないが使役する影と意思疎通ができるのは旬としては大いに助かっていた。ただ、最近はテレビの影響か、おかしな言葉を使うようになってきており、旬のことを必要以上に敬い奉ろうとする喋り方には少々辟易としていてもいた。
そんな旬の心情など露知らず、ベルはどこか焦ったように、跪いたままの状態で旬へと続きの言葉を発してくる。
『先程から影の中でお姿を拝見しておりましたが、もしやしゃっくりとやらが止まらないのですか!』
畏まった喋り方もそうだが、ベルが着実に人間界の知識を取り込んでいることに苦笑を漏らす。このくらいなら可愛いものだが、変な知識だけは増やさないでほしいと思う。
「いつもなら水を飲めば治まるんだけど、今回のはちょっとしつこいみたいで、なかなか止まらないん……っひぅ……だよな」
説明している間にも出てくるしゃっくりに、思わず眉間に皺が寄る。体に害はないが煩わしいのには変わりない。
しかし、それを見たベルが何を思ったのか、突然目を見開き大粒の涙を流しだす。虫なのに涙を流すんだとかどうでもいいことを思ったのは、この際割愛する。
『王よ! 今で何回目のしゃっくりになりますかっ!』
「えぇ……、回数なんて数えてないし。それよりどうした? 急に泣き出すからびっくりする」
気にしすぎると余計に止まらなくなると聞いたことがあるから、何回出たか数えるようなことはしないし、そもそも数えている人の方が稀ではないだろうか。
そうベルに伝えれば、更に焦ったように騒ぎだし、挙句の果てには旬の許可を得る前に他の影たちを勝手に喚びだし、彼らに今の状況を説明しだす始末だ。
「しゃっくりひとつに騒ぎすぎだ」
そんなに広くない水篠家のリビングに影たちがこれでもかというほど出てきているから狭くてかなわない。
特にアリ。
ベルのように知能があるアリはいないから、出てきたと思えば、その辺りの壁に天井にと走り回っている。まだ時間はあるとはいえ、もし母や葵が今ここに帰ってきてしまったら、卒倒するだけじゃすまないかもしれない。そう思ったら行動は一瞬だった。
「アリを出すな」
あれらが出てきたところで戦闘以外で何か役に立つとは思えないのもあり、部屋中をかさかさと駆けまわっているアリを影の中へと強制退去させる。そうすれば、窮屈だった密度が少しだけ薄らいだ。あと部屋にいるといえば、ベルとイグリット。それにキバ、アイアン、タンクの他、一般兵に魔法兵が幾人かとアイスベアが数頭。アイスベアもアリと同様、そのまま影の中へと返そうとしたところで、それを察知した彼らが自主的に両手で抱き込めるくらいのサイズに縮小したので、返すタイミングを失してしまう。見ればタンクも小さくなってアイアンに抱きかかえられている。
「それで、俺の許可なくこんなに影たちを出していったい何をするつもりだ?」
ぬいぐるみサイズになってしまったアイスベアを呼び寄せ、ソファの上に置く。もふもふとした手触りとサイズが本当にぬいぐるみのようだ。ソファの上でもよたよたもちもちと動いている様に不覚にも癒されてしまう。
そんな、ちょっとほっこりとしていたところだったのに、またしても無粋な声が口から漏れる。
「ひっく」
『!』
旬の口から漏れた息に、ソファにいたアイスベアたちが驚愕の表情を見せる。そしてベルと同じように目にいっぱいの涙をうるうると溜めて旬を見上げてくる。
「だから、なんでそんな顔で見て、っく、ああもおっ」
喋ってる時のしゃっくりは本当に煩わしい。
いったん落ち着こうとテーブルに置いたグラスに手を伸ばし水を飲む。勿論、それでも止まることはない。
「で、なんでお前たちはそんなにしゃっくりひとつで大騒ぎしているんだ」
それでも気分的に少し落ち着くことができ、改めて彼らに向かって問いかける。そうすれば、旬の声に何組もの心配そうな目が向けられ、呆れながらも笑ってしまう。本当に何だというんだ。
『先日、とある話を聞いてしまったのです』
くるりと兵たちの姿を見回していると、テーブル近くにいたベルがさめざめとした顔で顛末を話しだした。
ベルが言うには。
先日、葵が音声通話アプリを使って友人たちと話をしている時に聞いた内容とのことで。なんでも、しゃっくりを百回すると死ぬのだと話していたらしい。
その時は葵の友人が通話中にしゃっくりが止まらなくなり、ひっくひっくと何度もおかしな声を発していて、何度も水を飲んでようやく止めることができたようで、治まったあとに友人は「死ぬかと思った」と言っていて、葵も「しゃっくりを百回すると死ぬんだって」と言い、それについてその友人も聞いたことあると答えていたそうだ。
「それ、ただの迷信……」
その話は旬も聞いたことがある。大体が学校で友人たちとの会話の中で出てくる笑い話であるのだが、何故か親の代からある都市伝説のような迷信だ。旬も幼い頃はその話を鵜呑みにし、しゃっくりが出る度に早く止めなければと、息を止めたり水を飲んだり、友人たちにびっくりさせるように言ったりしたものだった。勿論、大人になった今はそんな話はただの作り話だと分かっている。
しかし、人間界の生活に初めて触れる影たちは、何が真実で何が虚構なのかまだまだ判断がつかないらしい。事実、テレビを初めて見たベルは、あの中に小さな人間が入っていると思っていたらしく、そんなカルチャーショックのようなやり取りを何度か交わし、その都度旬がひとつひとつ訂正していた。
今回もそんな子供くらいしか引っかからない迷信に見事に引っかかった影たちが旬の身を案じて落ち着きなく騒いでいるのだと、ここでようやく察することができた。
だから、すぐにでも真実ではないと訂正しようとした。
「ベルが聞いた話は……」
『王は祝福の効果でどんな怪我も病気もたちどころに治ってしまう、尊き御身をお持ちであることは承知しております。しかし! だからこそ、その御身でも治すことのできないしゃっくりは王の身を唯一脅威に陥れることのできる病やも知れぬのです! そんな病が命の危険がないなどあろうはずがありませぬ!』
誤解を解こうと口を開くも、それよりもベルの尋常ならざる口調が旬に話す隙を与えない。力説するベルの言葉に他の影たちも神妙な顔 ─ と言っても表情はほぼないが ─ で首を縦に振っている。そうなればもう誤解を解くのも面倒になり、それよりもさっさとしゃっくりを止めた方が賢明な気がしてくる。
「それで、ベルはしゃっくりを止める方……っ……法を知っているのか?」
旬が知っていると言えば、びっくりさせるか息を止める、水を飲むといったものしか知らない。それは先にも試して効果がなかったのはベルも知っているはずだ。だからそれ以外に何か方法があるのかと純粋に思ったのだが、ベルから返ってきた言葉はやはり旬が知っている方法だけだという。
「今までだって、しゃっくりくらいし……ってたし、生きてるってことは大丈夫なんだろう。それに流石に百回もする前には止まるって」
作り話だと知っているから旬の口調も軽い。
もういいだろうと、今出ている者たちもそろそろ影の中に戻そうとするも、皆が駄目だと首を振って戻ることを拒み、結局旬のしゃっくりを止める方法を探し始めてしまった。
ベルを中心にあれこれと目の前で何かを話し合っているようだが、あいにくと旬には他の影たちの声は聞こえない。『案はないか』やら『それはさっき王が試されていた』だとか、ベルの声だけが部屋の中に響き渡る。
『王よ、キバがひとつ方法があると言っております。試させていただいてもよいでしょうか』
彼らが話し合っている間、止まらないしゃっくりをそのままに、手持ち無沙汰な旬はソファにいるアイスベアを手慰みに撫でていたが、その内ベルに声をかけられ視線をそちらに向ける。
ベルの横には、いつもより小さくなったキバが片手に貪欲の球を持って旬の方を向いているのが見えた。それを見て、キバがこれから何をしようとしているのか分かり、即座に却下する。
「駄目だ。こんな狭い部屋の中で魔法を使おうとするな。部屋が吹き飛ぶ」
『しかし!』
「うるさい! 駄目なものは駄目だ、他の方法を探……っひっぅくっ」
『王!』
口を大きく開けていたからか、思ったよりも大きな声が出てしまい気まずさに顔が朱くなる。空咳をしてその場を取り繕うが、しゃっくりの仕組みを知らない彼らはもう恐慌状態だった。
『今までで一番酷いしゃっくりではなかったか! キバに魔法兵! 今は何回目だ!』
『……、……!』
旬には聞こえなかったが、ベルの触角が電気が走ったように強く小刻みに震えたから、何か言ったのだろう。その証拠に他の影たちもベルと同様に恐ろしく蒼褪めている。ソファにいるアイスベアたちも旬の太腿に前脚を置いて、目をうるうるさせながら見上げてくるほどだ。
「え、今何回だった?」
さして興味はなかったが、影たちがあまりにも恐ろし気な顔をするから少し気になってしまう。
『もう八十を超えているそうです』
「え、そんなにしてた?」
思った以上に回数を重ねていたらしく、旬も驚く。どうりで腹筋の辺りが気怠い感じがするわけだ。
『王の命がかかっておるのだぞ! 本当に誰か何も知らないか! イグリット! おぬしも何か良き案はないのか』
ベルの声に名前を呼ばれたイグリットへと視線を向ける。旬のいるソファの後方、壁際近くにいたイグリットは、この騒動にあまり関心がないのか、いつものように静かに旬のうしろに佇んでいる。
しかし、その様子はどこか違和感があった。関心がないというよりも、しゃっくりくらいで大袈裟なと言いたげな態度にも見える。何故なら、旬がしゃっくりをすると心配そうにこちらを見てはくるのに、ベルの言葉にはあまり明確な反応を見せようとしないからだ。それは影たちの反応とは全く違い、どちらかというと人間たちが取る反応に近いものがあった。今も八十回と言っていたのに慌てる素振りも見せない。
(もしかしてイグリットはしゃっくりが何なのか知ってるのかな)
「イグリット、も……っし止める方法を知っているのなら教えてくれないか」
うしろで『八十一回!』と叫んでいるベルのことは無視し、ソファから立ち上がると壁際にいるイグリットへと近付いていく。
旬が近付けば自然と跪こうとするイグリットを制して、彼の腕に収まるくらいの距離に入る。近くに来れば旬よりも背が高いイグリットを見上げるようになる。
ひっく、と旬の口から息が跳ねる。
『……』
少し思案するように旬を見つめていたイグリットだったが、自身の胸に手を置き、頭を垂れる仕草をしたかと思えば、一歩旬へと近付き、ゆっくりと顔が寄せられ。
ちゅ。
旬の唇の上に硬い何かが触れた。
「え、なに……ひっく」
驚いて目を瞬かせるも、直後に出た声に〝驚いてもしゃっくりが止まることはない〟が更新されただけだった。
再びイグリットは思案しだす。
次に起こした行動は旬の耳に触れるというもので。耳朶に指が触れ、柔らかな皮膚を親指と人差し指でやわやわと揉まれる。
「イグリット?!」
何が起こっているのかにわかに信じられなかった。それもそのはず、いつもは堅物を絵に描いたような態度で、騎士としての本分を忘れることのない従者の鑑ともいえるイグリットが、旬の許可なく触れてきているのだ。勿論、いつもと違う態度だからといってそれを咎めるようなことはしないが、旬の許可を得る前にイグリットが触れてくることは本当に稀で、それこそ二人きりの、旬がイグリットに身を預けた時くらいでなければ有り得ないくらいの珍しさなのだ。
(それよりも、しゃっくり)
さすがにこれだけ驚かされれば、しゃっくりもびっくりして止まっただろうと思った。しかし、どうやら本当に今回のしゃっくりは頑固でしつこいらしい。
「ひっく」
旬の口から再び息が漏れる。そしてそれを見たイグリットが今度は更に耳の中へと指を入れてきたから、慌ててその腕に触れてストップをかける。
「ま、待って!」
別に触れられるのが嫌だから止めたわけではない。周囲に他の影たちがいる中で、もしかすると見られてはいけないあれこれを今からされてしまうかもしれないと思ったら。彼らを先に影の中に帰してからでなければ、いろいろとヤバいのだ。そう、しゃっくりで死ぬよりも先に羞恥心で死んでしまう。
「イ、イグリットが止め方を知っているようだから、あとはイグリットに任せる。もうすぐ母さんたちが帰ってくるから、お前たちはもう戻るんだ」
『ほ、本当にイグリットにだけ任せても大丈夫なのですか!? あと残り十六回なのですぞ!』
「大丈……っ夫だから。お前たちもいろいろありがとう。ちゃんと百回になるまでには止めるから」
そう言って、あとは半ば強引に影の中へと戻したのだった。
瞬く間に影たちのいなくなったリビングがいつも以上に広く感じる。
そろりと壁に掛かっている時計を確認する。針はもうすぐ十七時を指そうとしていた。さっきは彼らを戻す為に咄嗟に母と葵を出しにしてしまったが、この時間ではまだまだ帰ってくることはない。
「まだ知らない奴らもいると思うから」
イグリットと同じ時期に影にした兵たちは気付いているだろうが、最近影にした者たちは自分とイグリットの関係を知らない者もいるだろう。隠しているわけではないが、それと恋人同士のようなやり取りを彼らに見られるのはまた別の話だ。
「イグリットとのことを隠したくて言ってるんじゃないからな。俺が見られるのに慣れてな……っいだけだから」
イグリットに誤解されたくなくて必死に言い募る。この関係になるまでもいろいろ紆余曲折があったのだ。またすれ違うようなことになるのだけは嫌だった。
旬の切実な想いをイグリットが疑うことはない。不安に揺れる旬を安心させるように腕の中へと抱き寄せ、額にこめかみにと口付けられる。それだけで酷く安心できてしまう。
しかし、だからといってしゃっくりが止まることはなく。
「っく」
イグリットの腕の中で小さく跳ねる。本当にいつになったら止まるのか。
はあ、と自然と無意識に溜め息が出てしまう。
『……』
そんな旬にイグリットの手のひらが再び耳朶に触れてくる。柔らかく揉まれ、今度こそ耳の穴へと指が入ってくる動きに、ぞくぞくとした感覚が背筋を這い上がってくる。
「あ……イグリ……ぅひっく」
それでもまだ止まらない。
だけどイグリットもまた動き出す。耳に触れていた手がいったん離れると、かちりと金属が外れる音がする。そのあと再び耳の穴を指で塞がれると、顔を少し上に向かされる。視線の先には、面頬を上にずらしイグリットの普段見ることがない口元が露わになっている。
どくん、と心臓がひとつ大きく鳴った。
これからされる行為に自然と瞼を閉じると、間を置かずにゆっくりと柔らかなものが唇に押し付けられる。そのまま啄むように何度か触れては離れてを繰り返され、唇の間を舌先がなぞっていく。促されるように口をそっと開ければ、口内へとイグリットの舌が入り込んできた。
耳は塞がれたまま。
口内へと入ってきた舌はいつもと違い、旬の舌先を捕らえて強く吸ってくる。痛いほどに吸われ、頭がじんと痺れたような感覚に襲われる。
「ん……ぁ、イグリット……」
巧みな舌の動きに陶然となりつつも、長く舌を絡め吸い上げられたまま。そして何十秒か後、イグリットは口付けた時と同じようにゆっくりと唇を離していく。
「な、んで」
もっと欲しくて、今度は旬から口付けていく。
イグリットの首に腕を回し、自分よりも頭ひとつ分以上も高い背に、一生懸命背伸びをしてキスをする。
そんな旬の健気な姿に、イグリットも耳を塞いでいた手を離し、それを背中に腰にと回しきつく抱き締めてくる。
「……ん」
再び深く重なり合った唇は、次に旬がしゃっくりのことを思い出すまで離れることはなかった。
そして、残り十数回で止まったしゃっくりだったが、結局どんな方法で止めることができたのか旬も明確なことは分からないまま。イグリットが喋れるようになれば聞きたいことのひとつとして〝しゃっくりを止める方法〟が追加されたのだった。
【終】
あとがき
大分走り走りな内容になってしまいました(反省)。
この話は何年も前から書きたくて、でもなかなか時間がなくて書けずにいたお話でした。
事の発端は私がしゃっくりを止める方法を探していた時でした。水を飲むとか息を止めるとかは昔から知っていることだったのですが、他にも止める方法があるのではないかと思い、調べていたら「耳の穴に指を入れる」というのと「舌を引っ張る」というのが書かれていたのです。
耳の穴に指を入れるは、耳の奥の迷走神経に刺激を与えることで、間接的に横隔膜のけいれんを止めることができるとのことです。
舌を引っ張るは、舌を掴んで三十秒ほど引っ張るということなのですが、この二つを組み合わせればちょっといちゃらぶ書けるんじゃないかと思い、ずっとメモ帳の奥に閉まっていたのでした。
耳を塞いだまま三十秒間舌で舌を引っ張ったままにするとか、どんな癖だよと思われそうですが、ようやく書けたことに大変満足しています。
この話を考えていた時はまだイグリットの能力が解放される前でしたので、まだ喋ることはできません。でも実は喋るイグリットよりも喋ることのできないイグリットを書く方が好きなんですよね。だって旬が一生懸命イグリットのことを考えてる気がしますからw
あと、イグリットが最初あまりベルの話に乗ってこなかったのは、しゃっくりが死ぬものではないと知っていたからです。イグリットは元々人間だったということで、他の影たちより人間界の知識はあるのではないかと思ったのでした。
ということで、イグ旬しゃっくりネタ。イグリットよりもベルの方が出番が多かったのは目を瞑ってください。あと、ちっちゃいアイスベアは、俺アラの「Happy 100th Day」イベントの「ドキドキ! タンクタワー」のタンクたちが可愛すぎて、彼らを撫で撫でしてる旬を書きたかったという理由で登場させただけでした。
それでは、この辺で。
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2024年9月大阪イベントのフリー冊子用の書き下ろし。