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さざなみ

※Dom/Sub設定です。苦手な方は回れ右でお願いします。


 この世界には男女の性の他に第二の性と呼ばれるものがある。第二の性はダイナミクスと呼ばれ、主に二つの属性に分けられる。
 〝Dom〟と〝Sub〟
 本能的に相手をコントロールしたい欲求を持つ者とコントロールされたい欲求を持つ者。それ以外に、そのどちらにもなるSwitchと呼ばれる者もいる。
 第二成長期にそれは調べられ、旬はDomと診断された。しかし、だからといって何かが変わったわけではない。この世はDomでもSubでもないNormalな人間が大多数であったし、家族を含め周囲にもそういった者は殆どいなかった。加えて旬にはDomの持つ本能的な欲求が希薄なのか、本来であれば欲求解消となる〝プレイ〟を定期的に行わなければ体調を崩すことになってしまうのだが、今までそんなことになったことはなく、Normalである一般の人たちと同じように生活ができていた。だから、自分がDomだということを忘れていたくらいだった。
 ある出来事がこの世界に起こるまでは。
 突如全世界に〝ゲート〟と呼ばれた、異形のものが蔓延る異界に通じる空間が現れ、それと同時に今までなんの能力も持たなかった人間に、人智を超えた能力が発現する事象があちらこちらで報告されるようになった。
 能力を持つ人間を〝ハンター〟と呼び、彼らは互いに思惑を持ってゲートへと挑んでいった。ある者は世界の秩序を守る為に。ある者は欲望を満たす為に。
 ゲートを進入した先は未知の世界だった。そして弱肉強食の世界でもあった。強いものが全てを手に入れ、弱いものは淘汰される存在とされた。
 しかし、この世には第二の性がこの奇怪な現象が現れるよりも前から人々の中に根付いていた。
 ランクの高いハンターであってもSubであればDomからのコマンドを無視することはできなかった。無情な命令に従わざるを得ず、Domの命令を聞いたところでその後のフォローもなく、Subとしての欲求を満たすことができず、心身共に蝕まれていくハンターが後を絶たなかった。
 Sub性の高ランクハンターがDom性の低ランクハンターに従わされる。更にはDom性の高ランクハンターがSub性の低ランクハンターを従わせる。どちらも目を覆うような悲惨な結末しか用意されていなかった。
 それでもハンターでありダイナミクスを持つ者は限りなく少なく、現状ではハンター協会で対応するよりもダイナミクスを隠して医師に処方された薬の飲みながらハンター業を続けることが一番安全な手段といわれていた。
 だから旬がハンターとして覚醒した時も自身がDomだということは周りには隠し通していたし、周りも最弱とも言われた旬がDomだとは誰も思いもしていなかった。知られたところでSubではないのだから、旬を従わせる者はいない筈だ。しかし、それでも周囲にいらぬ不安を抱かせるのは本意ではなかったから、己のダイナミクスに関しては曖昧に濁していた。
 何も変わりはしなかった。ハンターに覚醒しても自身のダイナミクスの欲求は希薄なままだったし、支障はなかった。



 そんな今、旬は満たされない己の欲求に苛まれていた。
 二重ダンジョンで得たハンターとして絶えず成長をし続ける能力が、旬の本来持つべきDomとしての欲求を徐々に膨らませていったのだ。相手をコントロールしたい、自分のコマンドに従った相手を喜ばせたいし安心させたい。互いに信頼を寄せたいと思うようになった。勿論、そんな相手など旬にはいないのだが。
 そんな鬱々とした、欲求が満たされない状況が一転したのが、旬を再覚醒させたシステムにより導かれた、転職クエストを達成した直後のことだった。
 クエストにより新たに得たネクロマンサーと呼ばれた職業。更にそこから第二次転職を成し、影の君主へとクラスアップをすることになった時だ。
 君主の能力で死者を己の兵士へと使役できると知った。方法は至ってシンプルだった。彼らに向かい命令をすればいいのだ。
 そう、今まで意識して使うことのなかった相手を従わせる言葉を使うのだ。
 旬の胸が早鐘を打ったかのようのどくどくと鼓動を刻む。
「起きろ」
 言葉と共に煙のように揺らめいていた死者の影が人の姿に象られていく。と同時に旬の中にあった満たされない欲求が退いていくのを感じた。勿論、彼らがSubではないことは分かっている。彼らは死者であり異界のものである。本当の意味での解消にはならないことくらい旬も気付いてはいるが、元々欲求自体が希薄だったこともあり、彼らに命令をするだけで精神を安定することができた。
 ようやく元の自分に戻れるのだとほっとする。今後は彼らを使役することでDom性に振り回されることはなくなるのだと思った。
 そんな調子で影の君主の能力を使い、次々に兵士たちを抽出していく。彼らは従順に旬に使役され、その度に疲弊していた旬の精神は落ち着いていく。
 そして、最後の一人のもとへと足を向けた。
 このダンジョン内で誰よりも強く誰よりも崇高な存在だった騎士。血のように紅く染まった鎧は彼の戦歴の激しさを物語っているようでもあった。
「起きろ」
 他の兵士たちと同様に彼に対しても命令をする。
 しかし、それはことごとく拒絶される。まるで旬の君主としての器を認めていないかのように。旬に自分を使役するだけの力量があるのかと問われているかのように。骸となってからも騎士としての矜持が見えた。
 だから旬も騎士と真剣に向き合った。
 深呼吸をひとつ。
「起きろ」
 瞬間、騎士から雄叫びのような慟哭が聞こえたかと思えば、見えていた漆黒の影が激しく揺らぎ、それは見る間に騎士の姿へと象られていった。
 旬の前に騎士が跪く。
 一番欲していた騎士が己の命令で影となったことに、これまで以上の満足感が得られると思った。
 しかし、どうしてだか旬の心が満たされることはなかった。騎士が影になったことへの嬉しさはあったが、Domとしての欲求が満たされたとは到底思えなかった。
 それが何故なのか。
 この一件以降、旬は自身のダイナミクスに大いに振り回されることになる。
 他の兵士たちに命令する時と騎士であるイグリットに命令する時とでは明らかに精神への干渉が違っていた。一方では満たされ、もう一方では満たされない心が旬を蝕んでいった。
 何故こんなことが起きるのか。昔から欲求が希薄だった自分はDomとしてどこか欠陥品なのではないかと、考えないようにしていた思考に囚われていく。
 勿論、そんな不安定な状態では体が保つわけがなく、とうとう意を決して専門医に相談することにした。
 結果、子供の頃に診断された第二性が誤診断だったと判定された。
 旬の本当のダイナミクスは〝Switch〟。
 DomにでもSubにでも変化する、希少なダイナミクスの中でも更に希少な性。
 しかし、その診断結果に旬は動揺するよりも納得する気持ちの方が強かった。医師から告げられた時、胸につかえていた不安がすとんと落ちたのだ。
 イグリットに命令をする時にだけ違和感が走る。ひとつひとつは些細なものであったが、それが積み重なれば、他の兵士たちに命令をしたところで不安定な精神が清算されるわけもなく。
 しかし、それも旬がSwitchだったからの変調だったのだ。
 医師は言った。旬はDom性が強く出るSwitchのようだと。それなのにただ一人にだけSub性が出てしまうのであれば、それはその人に対する旬の感情が大きく影響していると。
 Sub性の時にコマンドを使えば体が違和感を覚え、体調が悪くなることはしばしばある。性が交代することは本人の意思ではどうにもならないことが多く、一般的には相手に対して特別な感情があることが関係している。恐怖心から替わることもあれば愛情や恋情から替わることもある。
 その言葉に旬は改めてイグリットをどう思っているのか自問自答してみた。
 最初は二重ダンジョンで遭遇した神像を前にした時のような、恐ろしい程のプレッシャーを感じた。戦闘でも勝算なんてないに等しいくらいの絶望感を味合わされ、勝利したのも信じられないくらいだった。
 影になってからも、自分よりも強い彼が何故使役されることを許したのか分からず、今でもその考えは変わらない。
 それでも彼が己の命令に従順で、時に旬が命令するよりも先に敵へと先陣を切ることもあれば、傷一つ付くことも許さないと言わんばかりに身を盾にして旬を守ることを厭わない。
(それだけじゃない)
 騎士である彼の剣に憧れた。彼のように剣を振るえたらと、時間がある時は手合わせに付き合ってもらうこともあった。言葉はなくとも彼から自身の動きを称賛されると、憧れの騎士から褒められたといった高揚感とは別の充足感が旬を包んでくる。
 もっと褒められたい。それが更に先へと進み、イグリットの声が聞きたい、イグリットから求められたいと思うようになるにはさほど時間はかからなかった。
 しかし、イグリットの声を旬が聞く術はない。影の兵士たちは物言わぬ召喚獣である。旬がどんなに焦がれてもそれだけは叶うことはないのだ。
 今も影の兵士たちに命令を出しながら、イグリットから信頼を得たい、褒められたいと己の欲求が頭を擡げてくる。Domの時の欲求は満たされてもSubの時の欲求は満たされないばかりか、永遠に叶うことのない未来しかなかった。
‘ボスを倒しました’
 システムがダンジョンを攻略したことを告げてくる。
 旬の足元には今まで戦っていたダンジョンのボスが、首を刎ねられた状態で物言わぬ骸となって棄てられている。
「起きろ」
 骸から立ち上る黒い影が生前の姿を象っていく。
 旬の前に跪いたそれは、影の兵士としては十分であったが、しかし旬が期待していたものを持つものではなかった。
 遠くでゲートが閉じるようとする音がする。
 影の兵士たちを己の足元に広がる影へと戻した旬は、ダンジョンを脱出する為に踵を返したところで、いまだ影に戻らずにいるイグリットに気付く。
「どうし──」
 言葉が途切れる。イグリットの瞳が旬を見つめていたのだ。
 ぞくりと体が震えたのが分かった。
 途端にSubとしての欲求が溢れ出てきそうになる。

 ダンジョンをクリアした自分を褒めてほしい。
 もっとイグリットからの信頼を得たい。
 イグリットの声を聞かせてほしい。

 自分を求めて、支配してほしい。


 そして…………愛してほしい。

 最後の言葉は絶対に知られてはならない、旬の心の最奥に閉じ込めた欲求でもあり、欲望でもある想い。
 叶うことのない可哀想な旬の一番深い想い。
(なんで俺はSwitchなんだろう……)
 しかもイグリットにだけSubに替わってしまう特殊な体質。どれだけ多くの影を抽出しても、高揚感はあったとしてもイグリットを前にした時のような感情の揺らぎは起こらない。
 立ち尽くす旬にイグリットが近付いてくる。
 そのまま抱き締めて頭を撫でてほしい。よくやったと、言葉はなくても行動で示してほしかった。
 しかし、イグリットは旬に忠誠を誓った影の騎士。
 主従を重んじる騎士が僭越を冒して主君に触れることは決してない。
 思った通り、イグリットは旬の前で跪き首を垂れてくる。旬は唇を噛むことで己の感情を抑え込み、ボスに致命傷を与えたイグリットへと労いの言葉をかける。
「よくやった」
 本当は自分がイグリットから言ってもらいたい言葉なのに。叫び出しそうになる心を必死に宥めて、なんでもない風を装う。
 ふとイグリットが視線を上げる。
 いつもであればそのまま影へと戻っていく彼が、今日に限って何かを伝えようと跪いたまま旬に手を伸ばしてくる。
「どうした」
 伸ばされた手に思わず自分の手を伸ばした旬は、その手をイグリットが恭しく掴んできことに驚く。咄嗟に腕を退くが、思のほか強く掴まれた手はびくともしなかった。
 さらりと掬い取られた旬の手指が鎧のままのイグリットの指に撫でられる。優しく大切なものを扱うかのようなその手つきに、どうしても心臓が高鳴ってしまう。
 イグリットの行動が分からず言葉なく見続けていれば、そっと手の甲へと唇が落とされた。否、正確には兜をしたままであったから、唇があるであろう場所が旬の手の甲へと触れてきたのだ。
「っ」
 触れたのはほんの一瞬のことだった。それでも皮膚の上には触れた感触が残り、そこから指先が痺れたように熱くなる。
 また旬の指をイグリットは撫でていく。そして再び首を下げたかと思えば、そのままゆらりと揺らめき影の中へと戻っていったのだった。
「なに……」
 何が起こったのか分からなかった。
 主君の手の甲へ唇を寄せる行為自体は、騎士が忠誠を誓う主へと行う行為として普遍的ではあったが、掬い取った主君の手を撫でる行為が忠誠に関係あるとは聞いたことがない。
 そういえばと、手を見つめる。口付けを落とされたのは右手だった。そう、短剣を握る手に口付けられたのだ。
「あ」
 じわりと頬に朱が差す。
 さっきまでの苦しみが嘘のように退いていき、泣きたくなるような幸せが旬の心の中に広がっていく。
 イグリットは気付いていたのだ。旬が己のダイナミクスに振り回され、悩み苦しんでいることを。影であるイグリットに第二性がある筈がないのに、何故か旬のSub性が反応してしまうことも全部ひっくるめて、主である旬を立てながら、言葉で伝えることができない代わりに行動で示してくれたのだ。
 魔物と戦うために短剣を握りしめていた指を優しく撫でてくれた。まるでよくやったと労うように、旬の戦いを称えるように。
「ありがとう」
 イグリットの中では大事な主君を苦しませたくないといった、忠誠心から出た行為に他ならないだろう。そこに旬が持つような感情が乗ることはない。しかし、それでも旬の欲求が満たされたことには変わりなかった。だからこれでいいのだと感情が訴える前に理性で納得させる。旬が求めればイグリットはDom役を演じるだろう。しかし、それは従としてのイグリットであって、旬が望むものではないのだ。ダイナミクスは互いに対等でなければならない。今の二人の関係では上手く演じたとしても、いつかきっと齟齬が生じてしまう。
 だからこのままでいい。
 そして、それには己の感情に蓋をしなければならないことも旬は分かっていた。イグリットへと恋焦がれる感情は今の関係には必要のないものでしかないのだ。

「消えろ」

 自分へと命令したところで意味がないことは分かっている。しかし、少しでもイグリットへと惹かれる心に抑制ができるのであればと、藁にもすがる思いで言葉を紡いだ。
 どうかこの想いが再び外へと出てくることがないようにと、閉じるゲートの音と共に深く深く心の奥底へと沈めていったのだった────。


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以前からイグ旬でDom/Sub設定の話が書きたいなと思っていまして、今回書きたい欲求がふっと浮上して特に設定なんかをあまり煮詰めずに書いた話です。
始めは主従で旬がSubでイグリットがDomなのが萌えるよねって思っていたのですが、それよりも旬がSwitchの方がいいのではないかと思って、こんな感じになりました。
旬がSubでもいいのですが、それだとEランクで最弱ハンターな旬なんて再覚醒するまでに絶対悪いハンターにあんなことやこんなことをされてしまっているよね(泣)って、ちょっと胸が痛くなってしまったので、誰に対してもDom性しか現れなかったのに、イグリットに対してだけSub性が出てしまう旬を考えたらちょっと最高過ぎまして。
でも、イグリットは言葉を喋ることができないから、旬の本当の欲求は解消されることはなくて。しかもベルを影にしたら言葉を喋るから、もしかしたらイグリットもそのうち喋ることができるんじゃないだろうかと、期待する気持ちが更にダイナミクスを不安定にさせていくことになって……。
主従関係と恋情とダイナミクスとの間に揺れるすれ違い両片想いな二人の設定が最高だと思います。
あ、あと、Dom/Sub設定につきましては、そんなに詳しくないのであんまりツッコまないでいただけると嬉しいです(TOT)
取り敢えず、書きたかったものは書けたので満足です。

2024.06.22

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