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139話 ─ 中段 ─

 深刻な顔をして電話を切ったくせに自分に向けて発した言葉はいつもと変わらない声。
 本人も詳細は教えてくれなかったと、日本からの家族の電話とだけ言って、直ぐに帰国しなければいけないと申し訳なさそうに言ってくるだけだった。
 けれど、賢太が分からなくても旬には電話の内容が何か分かっていた。
「とうとう眠りに入ったのか…」
 DFN側が用意したヘリコプターに搭乗して日本へと帰っていく賢太を見送りながら、先日対面した賢太の父、諸菱明成の姿を思い出す。
 賢太は父とは似ていないと言っていたが、それでもどことなく面差しが似ているところはやはり親子であることを思わせたが、目の下にできた隈が病の進行が進んでいることを如実に現していた。しかし、企業のトップとして、大勢の従業員の生活をその肩に背負う者として凛然とした姿勢は流石だと思った。
 身内にも打ち明けていない極秘中の極秘を旬に打ち明けたのは、ひとえに明成の病が旬の母親と同じ病だったからに他ならなかった。そして、世界中でただ一人その病から目を覚ました患者の身内だったからだろう。
 藁にも縋る思いで旬に病を治す方法を懇願してきたが、旬にはそれを教える理由がなかった。
 否、賢太の身内という意味では助けたいとは思ったが、明成本人がどんな人物なのか分からず、限りある命の神水を渡してまで助ける必要のある人間なのか直ぐには返答できなかった。
 きっとこんな考えを持つ自分は冷淡な人間なんだろうと、冷静に見つめる自分の心が非難する。しかし、それでも明成と会った時は種明かしをするつもりは一切なかった。そしてそれは今も決めかねている。
「どうしようか…」
 巨人の君主のいたゲートは閉じた。
 DFN全土に散らばっていた巨人も順調よく影の抽出をして回収できている。
 ここですることはきっともう殆ど何もない。
『くぅん…』
 いつの間にか旬の側にはタンクがやって来て、何かを訴えるようにひと鳴きした。その横では、アイアンも窺うように見つめている。
「ああ。お前たちは諸菱君と付き合いが長いんだったな」
 タンクとアイアンは共にレッドゲートで抽出した影だ。その頃には既に賢太と知り合っていたから、二体の影と賢太は他の影たちよりも仲が良かったのかもしれない。
「お前たちも心配か?」
 問い掛ければ直ぐに肯定が返ってくる。
「流石にこのまま何も言わずに日本に帰るわけにはいかないだろうけど、一晩帰るだけなら問題ないよな」
 DFNに来てからこの一週間、各地に散らばった巨人の元へとあちこち移動していた。旬の姿が少しの間行方知れずになったとしても特に騒ぎになることはない筈だ。
「ここからだと航空機で日本まで二時間半くらいかな。諸菱君にも影を付けているし、感覚共有で見ていれば気付かれることもない」
『がぅ』
 旬の言いたいことが分かったタンクが嬉しそうに鳴き、大きな躰を旬に擦り付けてくる。影であってももふもふとした感触の毛並みを撫でながら、今から二時間半、旬はDFNでの後処理をゆっくりと行うことにした。



「まったく見ていられない」
 賢太の憔悴した後ろ姿を見つめながら、誰もいなくなった病棟の廊下に佇みポツリと呟く。
 賢太は本当に何も聞かされていなかったらしく、魔力制御室で眠っている父親の姿に動揺を隠せないでいた。
 いつでも朗らかで、逆境であっても持ち前の明るさと活力で乗り越えてきた彼の悲痛な表情。瞳から流れる涙を見て、旬の意思は固まった。
 誰もいない室内で眠る明成のベッドの横に立ち、生命維持装置を付けられたその姿を見下ろす。
 身じろぎ一つしないやつれた姿に、病室で眠っていた母親の姿が重なる。
 インベントリから取り出した命の神水を片手に持つ。
 今も明成の人となりについては分からない。けれども家族に、賢太に対して注いでいた揺ぎない愛情は先の二人の会話だけでも十分に窺えた。それに、子は親の鏡と言う。賢太を見ていれば明成もまた誠実な人間だと分かる。
『……』
 影の中から旬の動向を心配そうに見つめる視線。それが一つや二つじゃないことに気付き、旬の口角が小さく上がる。
「諸菱君は思っていたよりもずっとこいつ等と上手くやってるみたいだな」
 きゅぽん、と栓の抜ける音と共に明成の口元に液体がゆっくりと流し込まれていった。
 頬に赤みが戻るのを確認して、旬は病室を後にする。
 もうここにいる必要はない。
 DFNに戻るのに必要な影の交換が再び使えるまで後二時間。手持ち無沙汰ではあったが、時間を潰す為に直ぐに思い付くこともない。それならば、その間に賢太から連絡が入るか待ってみるのもいいかもしれない。
「そう言えばもう直ぐ誕生日って言ってたな」
 本人に言うつもりのないプレゼント。
 けれど案外気の付く賢太のことだ。理由は分からないでも、目覚めることのない病から父親が目覚めたとしたら、旬が関わっていると思うだろう。彼のことだから旬に聞いてくる筈だ。だが、それに対して肯定も否定もするつもりはなかった。目覚めた理由なんて必要のないことだから。
 明成のいる病棟が俄かに慌ただしくなった気配を感じながら、旬はその場を後にする。
 月を背に足を踏み出すと、月光で伸びた影と目が合う。
「諸菱君の誕生日は月末だ」
 自分の言った言葉に興味深そうな視線を感じ、咄嗟に言葉にしてみたが、影たちが一体何を思っているのか。
「あまり彼を驚かせるようなことはするな」
 加減を知らない者たちがチラホラ。その日の事務所内に賢太の悲鳴が響きそうだったから軽く釘を打っておく。
 旬の言ったことを理解したのかどうか、影が楽しげに揺れるのを見て、一つ嘆息する。
「俺は胃腸薬でもプレゼントするか」
 当日、引き攣った笑顔を浮かべた賢太を想像して、そっと彼にエールを贈った────。


初出:2021.05.07

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