── 沖の屋
138話 ─ 中段 ─
イライラと────。
イライラ、イライラとする。
王とこの地に訪れたのは数日前。
見るも無惨な程に壊滅させられた都市を巨人たちから奪還する為に、王の命の下、次々と巨人たちの首を王に捧げた。
その度に王からの労いのお言葉を賜ることができ、天にも昇る気持ちがこの身の内を駆け巡った。
ゲートを守護する巨人を討伐する際には、王と共に敵に刃を向け、我が名を呼ぶ王の声に歓喜し、誰よりも疾く誰よりも容赦なく巨人の軀を切り刻んでいった。
その後、巨人を倒してもゲートが閉じられることがなかった為、王と共にゲート内に進入した。
自分以外の影は既に王の影に戻っている。
ゲート内は広大な神殿内のような、中世の城の内部のような造りをしていた。
物々しい空気が漂う中、それでも王に付き従う者が今は自分だけだということに心が躍る。いつも当然のように王の隣に侍るアイツがいないだけでも気分が良い。
その筈だった。
無粋にも空気を震わす程の笑い声が間を割って入り、早々に王の関心が其方に向いてしまう。
ジリ、と胸が焦げ付く感覚を覚える。
回廊の執着地点には巨大な大男が幾重にも鎖に繋がれて囚われていた。
わけの分からぬことを大声で話しているかと思えば、勝手に王を誰かと間違えたくせに知らぬ者と訝しがる。
何も知らぬ王の質問に呆れと憐憫を乗せる声も気に入らない。
挙句の果てには、王の力になると言ってくる。今のままでは他の君主にも支配者たちにもお前は適わないと。自分の力を使えばいいと言う。
その言葉を聞いた瞬間、誰が誰の力になるのかと、王の手前でなければ食って掛かるところだった。
我らなど端から当てにしていない、見えていないかのような蔑むその言葉が気に入らない。
王以外の君主と言われようが、真実の誓いを受ければ偽りを言えなくなると言われようが、警戒心を解くことはできなかった。
それよりも、誓いを受けた王がさっきよりもずっと緊張していることが気になった。
何かを思い出そうと思案する王の表情に焦燥感が滲んで見え、こんな時、手助けができないもどかしさに歯噛みする。戦闘時は誰よりも王の力になれると自負できるが、駆け引きを行うような場面では、全く王の力になれない自分に無力を感じる。認めたくはないが、きっとこの気持ちは他の影たちも同様に感じていることだろう。
そして、王の不安は的中した。
確かに王の味方になることは嘘ではないのだろう。その根幹に何があるかは知らないが、他の君主を裏切ってまで王の味方になるだけの価値があって取引を持ちかけた筈だ。しかし、所詮は異界の者だ。君主だろうがモンスターだろうが王が護ろうとしている人間に仇なす者は全て敵だった。
謀(たばか)る者の行く末に興味はなかったが、姦計を用いて王を貶めようとした輩を王自らの手で制裁する価値もない。そう思っていたのに、王はその手で巨人の首を落とした。
そして、ダンジョン内に静けさが戻った。
『何故私を喚んで下さらなかったのですか。あのような不届き者、王が手を下すまでもなかったでしょう』
あの後、ゲート内から脱出する際、どうしても我慢ならず、喚ばれてもいないのに図々しくも王に問い掛けてしまった。腹立たしくて、いつまでも腹の中で燻っている感じが消えなくて。
そんな我の姿を見た王は既にいつもの落ち着いた雰囲気に戻っており、可笑しそうに此方に向き直られる。
「逆だ。お前を出すまでもない。何であんな奴に自分の持ち技を態々見せてやらないといけない?しかも俺の一番の戦力を。勿体無くて誰が見せるか」
我の不機嫌の理由なんてお見通しだと言わんばかりにクツクツと笑う王に、幾分感情が落ち着いてくる。王の一番の戦力と認めてもらえたことにも天にも昇る気持ちになる。
『わ、私を王の一番と認めて下さるのですか!』
「何言ってるんだ。俺の影の中ではお前が一番強いじゃないか。そんなの当たり前だろ?」
『しかし、』
言いかけて、言葉に詰まった。
王が仰られていることは純粋に戦力としての強さだ。戦闘力の高さは王の影の中では自分が一番高いと自負できるし、紛れもない真実だ。
しかし、我が言いたいのはそういうことではない。
ふと、ゲートに入る前の光景を思い出す。
王を護るのは自分の役目だ。
ゲートの門番である巨人を倒した後、突如として吹いた魔力風に考えるまでもなく王を一番に護った。誰よりも速く王の下へと参じ、強い魔力から王をお護りする。自分の中では王を護ることしか頭にはなかった。その中には少なからずイグリットを出し抜けた優越があった。
しかし、イグリットよりも速く王を護ることができたのに、王は一緒に日本からやってきた人間を護ったイグリットを見て嬉しそうにした。
王を護ったことは間違いではない。けれど、王が何を望んでいたのか正確に読むことができるのはイグリットでなければできない。
それはどんなに我が努力したところで適うことのできない領域なんだろうと、まざまざと見せ付けられたような気がした。
言いかけて黙り込んだ自分に、王は訝しげに首を傾げられたが、その後何を思われたか唐突に我の頭をポンポンと撫でていかれた。
『!?』
「何を競っているのか知らないが、お前はお前だ。他の誰かの代わりになんてなれない。それは皆同じだ」
見透かされたようで恥ずかしくなる。
「それともお前は別の誰かになりたいのか?」
揶揄うように王に問われ、自問する。
自分はイグリットのようになりたいのか?
『そう、なのかもしれません。王の信頼を一身に受けるアイツが羨ましい。私とアイツとは一体何が違うのかと、王を思う気持ちは誰よりも負けないと自負できるのに』
こんなに王の為にと強く思う気持ちがイグリットに負けているとは思えない。それなのに未だアイツに勝てたと思えたことが一度もなかった。
そんな我の言葉に、王は一瞬切ないような表情を見せられたような気がした。
「お前はイグリットにはなれない」
当たり前のことなのに、王に言われてしまうと胸が軋むように痛む。
分かっている。王とイグリットの絆は誰よりも深いということを。そこに入り込む余地なんて全くない。
もし仮に我がイグリットになれたとしても、今の王とイグリットのような関係になれたとは思えない。
王の言葉に落ち込み項垂れていると、またしても王が我の頭を撫でてくる。けれど今度はその後に両方の触覚を引っ張られた。
『お、王?!』
「羨ましいと思うのなら、なんで努力しない。羨む相手になりたいと言ってるだけじゃ、いつまで経っても相手の下でしかない」
王の目線に合わせるように触覚を引っ張られ、自然と顔が近付く。目の前に王の端正な顔がアップで視界に映され途端に胸がドクドクと激しく鳴り出す。慌てて顔を背けようとしても、触覚を握られている為、そこから動くこともできず視線がウロウロと彷徨ってしまう。
そんな我を挑発するように、王は蠱惑的な表情を乗せた瞳を此方に向けてこられる。
「そいつから奪ってやろうとは思わないのか?」
『え?』
「なんてな」
ドクリ、と今まで騒がしかった胸の鼓動が一際大きく鳴る。
言葉の意味をどう捉えればいいのか分からず、改めて王の尊顔を伺うが、既に王は我からも握る触覚からも離れてしまい、意味を問うことはできなかった。
ゲートの出口はもう目の前まで来ていた。
ゲート内では、ダンジョンが閉じようとする物々しい音が足元まで迫ってきていた。ここももう直ぐ閉じられるだろう。
王と共にここから脱出する為、いつものように先陣を切って王の前に出て、注意深く侍衛を務める。
「努めろよ」
『今、何と?』
「何でもないさ」
後方から聞こえてきた王の言葉は、ゲートの閉じる音に掻き消され、何と言われたか分からなかった。問い返しても教えてくれることはなかったが、王の表情を伺い見る分には悪いことを言われたわけではなさそうなので、気にはなったが再び前方へと視線を戻した。
ふと、ここに入った時に胸に巣食っていたイライラが今は嘘のように霧散していることに気付く。
王を振り返る。
視線が合った。
その代わり得体の知れない胸の熱さが躰中を駆け巡る感覚が芽生えていた────。
初出:2021.04.23