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137話 ─ 中段 ─

「すみません」
 旬とベルがゲート内に消え、姿が見えなくなったところで、賢太はイグリットに向き直り深々と頭を下げた。
 イグリットが声の方へと視線を向けると、申し訳なさそうな表情をしている賢太と目が合う。何故急に謝罪の言葉を告げてきたのか意図が分からず、じっと見つめていると今度はびくりと肩が揺れるのが見えた。
 賢太とはイグリットが旬の従者となった辺りからの付き合いであり、旬の影として任務にあたった二度目のレイドで初めて顔を合わせた。影を召喚する旬のスキルを目の当たりにした賢太の反応は、最初の内は影が近付く度にビクビクと怯えた様子を見せていた。しかし、それでもレイドがある度に毎回のように顔を合わせていれば、流石に徐々にだが慣れてきたようだった。
 ただやはり、ランクの高い影と一対一で対峙するのは未だ恐ろしいらしく、今みたいにイグリットが賢太を何気なく見たとしても身体が固まりぎこちない動きになってしまうようだった。
「い、いえ…イグリットさんも本当なら水篠さんに同行したかったでしょう。なのに僕がいるから一緒に行けなくて、申し訳ないなって思ったから」
 イグリットが見つめてくる理由が分かり、しどろもどろになりながらも謝罪の意味を話していく。
 イグリットは旬の召喚獣の中でもダントツに強い。それは今まで何度も旬とダンジョンに入った賢太なら身を持って知っていた。
 いつも旬の傍らで迫りくる敵を大剣で薙ぎ払い、旬と共闘することもあれば、時には主を護る騎士のようにどんな攻撃からも旬を護っていた。
 先にあったことも、巨人を倒した後にゲートから凄まじい魔力の風がフィールド上に吹き荒れた。しかも突如として吹き荒れた風だ。気が付いた時には魔力の中に巻き込まれ、旬でさえ庇うように自身の顔を腕で覆っていたのだ。その風をまともに受けてしまっていたら、賢太のようなランクの低いハンターであれば一瞬で吹き飛ばされ、ただでは済まない状態であっただろう。
 しかし、実際にはイグリットが賢太の前に立ち塞がり、膨大な魔力から守ってくれていた。旬からの命令はなかった筈なのに、イグリット自身の判断で賢太を守ったのだ。旬の召喚獣を知らない者であれば、マナで使役しただけの召喚獣が自分の意思で動くとは俄かに信じられないことだろう。
 しかし、賢太はずっと旬と行動を共にしていたのだ。旬の召喚獣が他とは違うことなど分かりきっていた。
 だからイグリットが旬の命令なしに自分を守ってくれたこと、更には未だゲートから拭いてくる風が不安定で、いつ先程と同じような魔力風が吹くか分からない状況の中、賢太の護衛を兼ねて残ってくれたことについては何ら不思議なことではなかった。
 ただ、旬の召喚獣の行動原理は常に旬を中心に回っている。それはイグリットも例外ではなく、しかもイグリットに至っては旬の求めていることを汲んで、命令されずとも行動を起こすことができるのだ。
 今回の件も身内のように接している賢太に何かあれば、旬が悲しむと分かっていたから、考えるよりも先に行動に移していたのだろう。実際、風が吹く中、旬は真っ先に賢太の身を案じたし、イグリットが賢太を庇っているところを見て胸を撫で下ろしていた。
 だから賢太は思ったのだ。
 旬がイグリットがこの場に残り、賢太を護ることを望んだからイグリットはここにいると。しかし、それは本当にイグリットの望みだったのかと。主を護ることが自分の存在意義だと言わんばかりに、常に主人である旬の傍らに控えていたイグリットが、常ならば正体不明のゲート内に旬が進入することを黙って見送るとは到底有り得なかった。
 けれども、旬が賢太を護ることを望んだから、自分の感情を捨ててゲートに侵入する主人を見送ったのではないかと、賢太はほぼ確信していた。
 そして、この場に自分がいなければ、何の憂慮もなく旬について行くことができた筈だ。それが賢太には申し訳なく、また自分の力不足を痛烈に感じ、イグリットに謝罪したのだった。
「守られなくても大丈夫なくらい、もっと強くなれたらって思います。そうすれば水篠さんのお荷物にならずに済むから」
 今回だって本来なら旬だけがDFNに来ていれば、もっと効率良く事を進めることができた筈だ。それを賢太が同行したいと言ったばかりに自分の歩調に合わせてくれている。
 我侭を言った自覚はある。
 けれども、どうしても旬について行きたかった。我進ギルドとしてDFNに赴くのなら、自分も連れて行ってほしかった。自分だってギルドのメンバーだ。戦いでは全く役に立たないかもしれないが、それ以外のところでは旬のサポートを努めたかった。
 賢太は幼い頃から諸菱グループの人間として恥じない所作を必要とされてきた。学問にしろ経営、渉外活動にしろ自社の不利益にならないように徹底的に叩き込まれた。本来ならその知識は諸菱グループの為に使われるものだった。しかし、賢太はグループの人間として働くことを蹴り、旬のギルドに入ることを望んだ。その時から自分の持つ知識を旬の為に使おうと決めていた。だから、旬がDFNの地に降りてからの様々な交渉や事務的な案件は賢太がほぼ一人でこなしていた。
 こんなことでしか旬の役に立てない自分をもどかしく思いながらも、事実、今自分ができることは何もなく、旬が戻ってくるまでその場で待機する為に簡易的なテントを張っていくことくらいしかすることはなかった。
 ここは既に旬により全てのゲートを攻略されているので、モンスターが出現することはほぼなかった。
「水篠さん、どのくらいで帰って来るかな」
 旬がいつ戻ってきても大丈夫なように、必要なものをテント内に準備して、賢太は組み立てた小さな椅子に腰掛けた。湯を沸かし、珈琲を煎れると漸く一息ついた。
「あ、水篠さんが記事になってる」
 どのくらいで旬が戻ってくるか分からない為、迂闊にこの場を離れることもできず、時間を潰すようにネットの記事を開く。そこに丁度我進ギルドの記事を見つけて、早速ブックマークを付ける。事務所に帰ったら記事を印刷してスクラップにする為だ。
「僕も写ってる」
 今まで何枚ものスクラップを作っていた賢太だったが、ギルドとしての記事があったとしてもその全てが旬単独の記事ばかりで、自分が写っている記事は一枚もなかった。それが今回、空港から日本を発つ時の他に、DFNでの民間人救出など旬の隣で自分が写っている様々な記事が各国に配信されていた。
 それら全てをチェックしていき、次いでとばかりに今まで自分が作成した旬のスクラップブックを取り出す。旬に見つかれば、こんなところにまで持って来るなと呆れられるかもしれないが、これは自分の宝物なのだ。
 旬と出会い、最初は不正登録者ではないかと恐怖と警戒心を持っていたが、そんなものは直ぐに消え失せていた。
 旬の心根に触れ、心の底から尊敬できると思ったその時から、旬に関する記事を全て集めたいと思った。どんな小さな記事でも構わない、ありとあらゆる媒体から旬に関するものを集めた結果、自分でも自画自賛できる程のものが出来上がったと思っている。勿論、今後も旬のこと、我進ギルドのことが載った記事が出る度にこのファイルのページ数は増えていく。そして、それを見返すのがこの上なく楽しいことなんだろうと、ページを捲りながら思いを馳せていた。
「あ、ここイグリットさんも載ってますよ」
 何ページか捲っていったところで旬と影たちが写った記事があった。
 架南島での蟻討伐の記事であり、丁度旬とイグリットの二人だけが写っている記事だ。
 ちょんちょんと記事の写真を指差すと、イグリットも興味が湧いたのか賢太の方へと近付き、背中越しに覗き込んできた。
「やっぱり格好良いなあ」
 Sランクのレイドだったにもかかわらず、旬の出で立ちは討伐に必要な防御的な装備など一切なく、その辺を出歩くような軽装で写っていた。特に洒落た服を着ているわけでもないのに、何処にいても旬はいつも目を惹く。今着ている服だって全身黒づくめであるにもかかわらず、誰よりも目を惹いていた。
 そして、その横に主人を護るようにイグリットが侍している。
「他の影たちも格好良いけど、二人が並ぶと何か違うんだよな」
 どう違うのかと問われれば賢太自身、具体的に言葉にし辛いものがあるが、強いて言えば纏う空気が違うように思えるのだ。
 互いに信頼し合う姿は勿論のこと、イグリットが旬に従う姿はどうも他の影たちとはどこか違うものを纏っているように感じずにはいられないのだ。
「やっぱり一番水篠さんと一緒にいる時間が長いからかな」
 付き合いで言えば賢太の方がイグリットよりも古い。しかし、共にいる時間は比べるまでもなくイグリットの方が長かった。
 賢太も入るゲートには必ず召喚されているし、旬は賢太の知らないダンジョンにも入っている。きっとそこでも当たり前のようにイグリットは召喚されているのだろう。
 別にそれを競うことも不満に思うこともなかったが、イグリットのように旬と共に戦うことができない寂しさはあった。
「だから僕は僕のできることをするだけだよね」
 適材適所と言う言葉の通り、ダンジョンで役に立つことはできなくとも、我進ギルドの副マスターとして知的労働であれば役に立つことはできる。このレイドが終わればきっとギルドの周りは今以上に騒がしくなるに違いない。少しでも旬の煩わしさを軽減できるように、今後の対策を考えることが必要だった。
 そうやって賢太が改めて自分の役割を確認し意気込んでいると、横から肩を軽く突いてくるものがあった。
 気合を入れていたところに水を差された気がして、思わず相手を睥睨しそうになった賢太だったが、それがイグリットだったことで慌てて表情を取り繕う。
「な、何でしょう…」
 睨みそうになったことに気付かれていないかと内心ビクビクしていたが、イグリットがそんなことを気にするわけもなく、それよりも賢太の眺めていたファイルに指を差してページの右下をトントンと叩く仕草を見せた。
「?」
 最初、イグリットが何を求めているのか分からず、頭の中に疑問符を浮かべていた賢太だったが、イグリットの視線がずっとファイルに注がれていることに気が付き、彼の望んでいることを察した。
「よかったら最初から見ますか?」
 イグリットが人間の文字を読めるかどうか分からなかったから、そのままファイルを渡すことはせずに、ファイルの最初のページを捲る。
「最初の内は水篠さんの名前が出ているものはないんです。でも、水篠さんが関わったレイドや事件は全部把握していたくて、どんな記事も置いていってるんです」
 そこには賢太と出会う前の記事も綺麗に纏めて綴じられていた。
「最初の記事は、二重ダンジョンと呼ばれたゲートの記事で───」
 この辺りはまだ旬には影の召喚スキルがなかった時だ。イグリットの知らない旬のことが載っている記事に、賢太は肩越しに興味深げに覗き込まれる。
 後ろから覗き込むように見てくるイグリットに、旬のことを話したくて仕方がなかった賢太は、その後も一つ一つの記事を指しながら、記事の内容と実際の顛末を交え熱心に話し続けていったのだった。

 そして、余りにも熱心に語り過ぎて、途中から既に戻ってきていた旬にまで聞かれており、乙女のような悲鳴を上げてしまった賢太がいたことはここだけの話。
 序でに、戻ってきた旬が、イグリットと賢太の距離が近くてヤキモキしていたということは、後ろに控えていたベルしか知らないこと────。


初出:2021.04.18

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