── 沖の屋
136話 ─ 中段 ─
目の前で繰り広げられる戦禍をかつては高層ビルであった瓦礫の上から冷静に観察する。
状況は劣勢。
思った以上に巨人の破壊力が凄まじく、瞬く間に召喚した影が破壊と再生を繰り返していく。
設計者との戦いの中、旬のマナ量は大幅に増加した。ある程度の兵士たちの破壊は計算の内であったが、それでも急速に減少していくマナ量に焦れる感覚を覚える。だが、ここで焦ってはならない。活路を見出す為に影たちに囮になってもらっているのだ。その犠牲を無駄にしてはならない。
逸る心を落ち着かせる為に、一度深く息を吐く。
攻略は分かった。
「カイセル」
旬の言葉一つで足元に影が広がり、次いで漆黒の翼が大きく羽ばたく。
先程まで旬の側に控えていたベルは、カイセルが召喚されたと同時に自身の翼を広げ、巨人の下へと真っ先に飛び込んでいく。
切り込み隊長の名を欲しいがままに、影となった元蟻の王は誰よりも速く敵の元に駆け、刃を振り下ろす。誰よりも多くの敵を屠り、主君の恩寵を賜ることを至上の喜びとして駆けていく。
今までであればその役目はイグリットが担っていた。先陣を切り、その俊敏さを武器にして誰よりも速く、多くの敵の首級を上げていた。
しかしベルが仲間になったことで、その役割が大きく変わった。先陣はベルが、イグリットはそれよりも後方にて敵を討つ役割に代わる。
だからといって、それが劣等感になるということはない。後方に下がったことにより、より戦場の様子が広く見渡せるようになった。ランクの低いレイドであれば戦術など必要なく力で捻じ伏せていけばいいが、今度の巨人相手のような戦場には力だけでは攻略していくことはできない。ましてやS級ゲートのダンジョンブレイクにより他のゲートが攻略不能の状態で次々とダンジョンブレイクが起こっている。巨人討伐に加え、人命救助と低級ゲートの攻略を同時に進行していく必要があった。DFN全土でこの状態が起こっている中、旬の采配だけでは手が足りない。他にも影を指揮する者が必要だった。
折りしもベルが仲間になったことで、その役目は必然的にイグリットが背負うこととなった。旬に命じられたわけではない。音に出して言われていない。ただ、それを旬が望んでいたから、イグリットは応えただけだった。
主の意思を汲むことは、イグリットにとっては息をするのと等しく自然なことだった。
全ての影を集結させる。
既に指揮権を旬に戻したイグリットは、旬の数歩前で他の名付きの影たちと同じように傅いている。
旬が一同の元に一瞥した後、「進撃!」と称えた言葉に応え、全軍が一斉にゲート前に鎮座している巨人に攻撃を仕掛ける。常ならばイグリットもそれに倣うところであったが、号令を出した後の旬の視線が自分の方へ向いたことに気付き、ベルを伴って旬の側へと傅く。
旬はそれに満足すれば、特に声を掛けることもなく、冒頭の高層ビルの廃墟の上に立つ。
言葉は要らない。
攻略の糸口を見出し、カイセルを飛び立たせた時もベルだけが先に駆けていった。従来であれば主君と同じ立ち位置になる場所に並ぶことなど、イグリット自身が許す筈がなかった。
けれども旬がそれを望んだ。
同じ目線で戦況を見極め、どのタイミングで巨人に攻撃を仕掛けるかを計る。
「イグリット」
名を呼ぶ声に旬よりも一歩前に出る。手には既に旬から拝領された白雷の剣を握る。
先に仕掛けるはイグリット。
旬の攻撃を巨人に悟られないように、大胆に斬り込んでいく。雷光を発雷させ、辺り一面を眩い程の白に置き換える。剣筋が見える一撃は容易に巨人に避けられるだろう。だが、それがイグリットに与えられた旬からの無言の指令。
全てを説明せずとも旬からの命令を正確に読み取ったイグリットは、巨人の下に辿りつく前にと旬に向かって今一度跪く。
傍らに剣を置き、主に勝利をもたらせると、誓いの口付けを旬の指に落とす。
「イグリット」
再び旬が声を掛ける。
視線を上げたイグリットに、自分の前に立つように目線で促す。
その命令に素直に従いイグリットが旬の正面に立てば、剣を持つ手を取り、その握る拳に先程自分がされたと同じように口付けを落とした。
「勝利を捧げろ」
見据える瞳は気高く、影の君主としての畏怖と尊厳を色濃く映す。
ゾクリと、イグリットの背に走る震えは、高揚感か。それとも畏敬の念か。
どちらにしても自分だけに下命された主からの言の葉に、イグリットは恭しく頭を垂れると次の瞬間には進行方向へと踵を返し、大剣を頭上に掲げた。
空気の裂ける音と共に白雷がイグリットを包む。
巨人を間合いに入れたと同時にカイセルから飛び降りた。
空から降る白い雷の間に深紅の筋が縫っていく。
眩い視界の中、軌跡を残すその紅を視線の先に捉え、旬もまた短剣を握り締め、カイセルから身を投じたのだった。
自分を導く紅を追って───。
初出2021.03.29