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132話 ─ 中段 ─

 S級ゲート封印はユーリ・オルロフ死亡により失敗に終わった。
 だが、失望という感情は湧いて来なかった。
 既にダンジョンブレイクが起き、ゲートから高層ビルよりも高い巨人たちが押し寄せて来ているというのに僕の心は凪いだままだった。
 メンバーに指示を出し、巨人を討伐していく。自分も討伐に加わり、巨人に立ち向かっていくが、頭の中を占めるのは先日ユーリ・オルロフと契約した時の話の内容だった。
 彼のある意味国家権力級ハンター特有の傲慢で傲岸な態度は相対するだけでも胸が悪くなり、早くあの場から離れたかった程だ。
 世界中でS級ゲートが発生し、他国のダンジョンブレイクまで気にしていられない中、ユーリ・オルロフだけは金を積めばレイド攻略に応じると言ってきた。
 リューをなくしたDFNは自国のハンターだけではこの未曾有の事態に対応することはできない。政府が頭を抱えハンター協会のゲオ会長に縋るも、彼にこの危機を乗り越えるような策がある筈もない。既に統率力もなくした名ばかりの会長はこの危機に対して他人事のように他者に縋ろうとする。リューは何故こんな矮小な人間の言いなりになっていたのだろう。

 何故、自分に何も言ってはくれなかったのだろう。

 副ギルドマスターといっても、リューの実力には遠く及ばない自分が、頼りにならないことは自覚している。今もリューが殉死してしまったが為に、担うことになったマスターという肩書きは、自分には荷が重いものでしかなかった。けれども仲間を守る為には逃げ出すわけにはいかなかった。それにリューが築いてきたギルドだ。なくすわけにはいかない。
 役に立たない協会のトップを見切り、政府にユーリ・オルロフへの交渉を進言する。
 交渉役として白羽の矢が立てられ、ロシアへと早急に赴くが、そこに待っていたのは此方の足元を見るユーリからの法外な報酬額の提示だった。
 あまりにも常軌を逸した金額に交渉を持ちかけようとするも、彼にその意思はなく、逆に更に人質を取られてしまう失態を犯してしまった。
 ただ、どの道どう進んでも国を救うにはユーリの力なくては不可能であり、金額を理由にその場での回答を避けてはみたが、政府に連絡を入れたところで条件を飲む以外我々の進む道は残されていなかった。

 本国への電話を終え、会談の場へと戻る。
 結界に閉じ込められたカナとルノーに視線を送る。
 悔しそうな顔をする二人に安心させるように目元を和らげた。
 ユーリに政府が条件を飲むことを告げ、続けて契約書の作成に入る。双方の弁護士により契約が進められる中、ユーリから思わぬ条件が提言された。報酬額を下げてもいいと。
 ただし、条件がある。内容は極秘。人払いも命ぜられた。
 カナとルノーには止められたが、巨額の報酬額が下がるのであれば、条件を聞くだけでも損はないと思った。
 ユーリも条件を聞いて飲めなければ拒否してもいいと、最初に提示した報酬額を払うのなら構わないと言ってくる。
 危ない橋を渡っている気がしたが、二人には部屋の外へ出てもらい、ユーリと二人で話をすることになった。
 卓を挟み対峙する。
 酒を片手に赤ら顔の男を見ると、国家権力級とは思えない醜悪な姿に嫌悪しか湧かない。それでも彼を怒らせてしまえばDFNの未来はなかった。

 “条件を出そう”

 そう言われ正面を向けば、此方を値踏みするような目と鉢合う。全身を舐め回すような視線にゾワリと嫌悪に肌が粟立つ。
 それで理解する。この男が何を望んでいるのか。
 案の定、続いて出てきた言葉は聞くに堪えないことばかりだった。

 “S級と言えど東洋人は誰も彼もが小さく華奢だな“
 ”肌の色は白人が薄く透き通っているが、お前たちのはキメが細かく女も男も触り心地が良さそうだ“
 ”東洋人を相手にしたことがなかったから丁度いい。俺の相手に誰か寄越せば報酬額を何割か下げてやろう“

 要するにユーリに身体を差し出す者を寄越せと言ってきたのだ。しかもユーリの言葉は更に続く。

 “すぐ壊れるようなただの女や男なんぞいらん。それこそお前たちの誰かが俺に跨がればいい。簡単なことだ“

 扉の向こうに視線を寄越し下卑た笑いを浮かべる。
 ミシリと腕を掛けていたソファの肘掛けが嫌な音を立てる。よく握り壊さなかったと心底思った。

 ”どうする?“

 再び自分に視線を合わした男は、此方が断るとは微塵も思っていない顔をしている。
 ふと、ここにもしリューが居たらどう対応しただろうかと思った。それともリューならばこんな馬鹿げた条件を提示されることはなかったのではないか、とも思った。結局自分の能力が低いが為に見下されているのだ。お前たちは力に平伏せていればいいと。
 口内に鉄の味が広がる。
 数瞬目を閉じ深く息を吐く。
 カタリ。
 ソファの肘掛けから無理矢理指を剥がし、立ち上がる。
 選択肢なんて最初からなかった。

 そしてこの後、僕が取った行動は誰にも知られることはなかった。


 国家権力級と謳われた男の躰がいとも容易く巨人に飲み込まれていく。
 結界は壊され、ゲート内から無数の巨人の姿が現れる。
 慌てふためく周囲。
 戦闘が開始され周りが騒然とする中、己の唇に歪んだ笑みが浮かぶ。自分の意思ではどうすることもできず、その笑みを隠すことは中々できそうになかった。
 傲岸な享楽者、ユーリ・オルロフの死。
 計画は失敗し、彼が死んだことにより交わした契約は破棄されることになるだろう。
 それは人払いをした時に交わした契約も然り。
 だが過ぎ去った事実をなかったことにするには、自分の手は汚れ過ぎてしまった。
 あの時あった誰にも言えない契約。
 ああ…、もしかしてリューも同じだったのかもしれない。
 今となっては真実は協会のあの男の胸内にだけしかない。知りたいとは思うが、リューが最期まで明かすことのなかった真実。それを今更掘り起こそうとは思わなかった。
 歪んだ笑みは次第に苦みを伴う笑みに変わる。
 だが、それを咎める者は誰一人いなかった────。


初出:2021.02.27

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