── 沖の屋
130話 ─ 中段 ─
旬が過去にあった戦争の記録を読み込んでいる中、深淵の底で蠢くものがあった。
それはずっと旬の側で彼を監視しているようであり、護っているようでもあった。
システムの設計者ではない。
旬がプレイヤーとなる前から遠くて近い場所で存在し、彼がこのシステムに組み込まれるように虎視眈々と狙っていた。
ただ、それは陰謀だとか奸計だとか言うものではなく、この世界の在り方を変える変革の為に旬を利用しようとした存在だった。
最初にこのダンジョンを人間たちに発見させたのは何も偶然ではなかった。全てが計算されて仕組まれたもの。
水篠旬という稀有な存在を得る為に、設計者を隠れ蓑にして彼に力を与えたのだ。
しかし、当時の旬はまだ強大な力を得るには脆弱過ぎた。だから設計者が作ったシステムのシナリオに便乗するように試練を彼に科せ、ひたすらに強くなってもらうことを求めた。
結果、想像以上の成長を遂げた旬にその存在は大いに満足した。これなら自分の全ての力を彼に渡せると確信したのだ。
設計者は旬を影の君主に仕立てあげたかったようだが、シナリオに管理された唯の影の君主になんぞにさせるつもりはなかった。誰の支配にも屈しない、影の君主の力を得た水篠旬という存在を作りたかったのだ。
だから観せた。
最終試練を見事踏破した旬に与えられた過去の記録。
設計者の用意した記録は過去の大戦のものだ。あれは事実ではある。だが語られていない部分も大いにあった。システム設計者として不都合な部分だ。新たな影の君主には必要のない情報。自分たちの傀儡にする為にはその不都合な情報があると容易に動かせる駒として使えなくなるからだ。
だから気付かれないように記録内にデータを追加した。
過去に起こした行動、意図、思念…。
奇しくも、その中にバランとの記憶も入ってしまっていたことは、それとしては若干の誤算ではあったが。
だが、きっと彼は気付くことができただろうと確信する。
設計者が用意したクエスト。
悪魔城で出会った悪魔貴族ラディール家の娘、エシル。
かの娘が旬に告げた、魔界で今から起こる強大な力を持つ敵との戦争に対しての情報。全ての情報を旬に聞かれる前にシステムの邪魔が入り、強制終了させられてしまった、設計者に不都合な情報。
更に悪魔城で対峙した悪魔界のトップとして君臨していた王、バラン。
記録の中のバランは戦争の最中に影の君主を裏切ったことにより、君主自らの手で誅殺された。しかし、悪魔城でのクエスト内では君主の存在などなかったかのように悪魔族の王として生存していた。
戦争前と戦争最中。
この情報の齟齬に彼はきっと気付くだろう。そして、その齟齬の意図に対しても答えを導き出していくことだろう。
今はまだ設計者からも先の敵からも存在を察知されるわけにはならない為、あまり多くの情報を彼に渡すことはできずにいる。
だが、これから起こり得る多くの事変により、彼が自らの手で答えを導き出していくだろうとも期待している。
だから少々その為のお膳立てをする。勿論、その中には設計者に意趣返しをする意図も込めて。
自らの能力を旬に譲渡したそれは、目覚めた旬が設計者からシステムを剥奪していくところを深淵の底から静かに眺めていた。
その口元に満足げな笑みを浮かべて────。
初出:2021.01.28