── 沖の屋
128話 ─ 中段 ─
勝敗が決まった。
長い時が経ったような気がしたが、実際には神殿内に入ってからここまで然程時間は経っていなかった。
影の召喚の制限をされてはいたが、闇の中から主の姿を追うことはできた。
石像との戦闘では主の強さに揺るぎはなかった。勿論、それは当然の結果と言える。
それでも勝利を見るまでは一切の不安がなかったわけではなく、少しの見落としもないように主の動きを注視していた。
主の余裕のある動き。
負ける筈のない戦いだと分かっていても、何故か言いようのない不安がずっと付き纏っていたが、それが何なのか設計者の言動ではっきりした。
制限時間を設けられ、連続しての戦闘。
設計者の強さは主と互角。しかし、このシステムに精通している分有利なのかもしれない。
余裕のなくなっていく主の姿に焦燥感が生まれる。
無意識に握られた拳は生身の身体であれば皮膚に食い込み鮮血が滲んでいたかもしれない。
設計者の力に圧される主。
もしも主に何かあればシステムのルールであろうがこの封じられた空間を壊してでも飛び出していくと言った。勿論、虚勢でも何でもない。本心からの言葉であり、禁じられたシステムへの介入だとしてもそれが不可能だとは思っていなかった。
いずれにしても主が倒れてしまえば我らの契約は霧散してしまう。主との絆がなくなってしまうこと程の絶望はない。
主の為と言いながら結局自分自身の欲の為の行為に自嘲する。
けれどその反面、今はまだ出て行く時ではないことも分かっている。何故なら設計者の戦い方には正当性があるからだ。
何か卑怯な手を使っているわけでもない。影召喚のスキル制限は行っているが、それも主自身の力を見る為であり、それ以外のスキルについては今まで通り使用可能であった。
だから我々が出ていくわけにはいかなかった。主もそれを望んではいないだろうから。
「まもれ」と言われた言葉にこの状況は含まれていない。
定められた時間まで二人の戦いに変化がなければ静観するしかない。
主の力を信じていないわけではなかったが、刻一刻と様々に変わる状況の中、いまだ数秒先の未来が分からない、阻まれた空間でしか主を見守れない歯痒さが身の内にざわざわと嵐を吹き起こしていく。
ああ……あとどれくらい待たねばならないのだろう───。
「こたえろ」
先程まで激しい攻防が広げられた神殿内が嘘のように静かになった。
切り取られた時間は既に元の時を刻み、闇に映る主は設計者から与えられたシステムデータから何かを導き出そうとしていた。
戦闘は終わり、既に勝敗は決している。それにもかかわらず未だスキル制限を掛けたままの設計者の意図に薄気味悪さを感じ、主がシステム内に入っているこの時に設計者を呼び付けた。
無視されるだろうと思っていたが、意外にも声は直ぐに返ってきて、闇の中にここに来た時と同じいけ好かない天使像の姿が浮かび上がる。
「勝負はついた。それなのに何故未だにスキル制限を掛けている」
主との戦いで身体の至る所を損傷している筈だが、今見えている姿は戦う前と変わらない何処にも傷のない姿だった。今の姿は本当の姿ではないと言っていたが、もしかすると肉体と精神を分離させることができるのかもしれない。それならば主が対峙した設計者は仮初の姿で、今見えているこの姿も精神のみで構築されているのだろうか。
どちらであっても瑣末なことであり、気にすることではない。それよりも設計者の返答によっては臨戦態勢に入らなければならない可能性が出てくる。
「何かと思えばそんなことで呼び付けたのかい」
詰問した内容が気に入らなかったのか、呆れたような口調で返されるがそんなものは関係ない。今は何よりも早く主の下へ戻りたかった。
ギロリと睨め付けるが相変わらず人を喰ったような態度で全く意に介すことのない設計者の顔。
「当然だろう。最後の試練と貴様は言った。それが終わったのであれば早々に我らを解放するべきだろう」
「最初はそう思ったんだけどね。事情が変わったよ」
悪びれることなく気が変わったと言われ、瞬間的に目の前の天使像を睨み付けていた。冷静にならなければならないと頭では分かっているが、相手のペースでしか進んでいかないこの状況に苛立ちを覚える。
「貴様の戯れに付き合うつもりはない。ここから出さないのであれば、此方から無理矢理にでもこじ開けてもいいんだぞ」
脅すように言うがあながち冗談ではない。これ以上ここに封じられたままであるのなら最終的には強硬手段を取ることに躊躇いはなかった。
もう殺気を隠すことなく腰に佩いた剣の柄に手を掛け剣身を抜く為に指に力を込めると、やれやれと言った風に前方から呆れた溜息が聞こえてくる。
「見ない間に随分短気な性格になったんじゃないか?玉座の間にいた時はもっと冷静で何事にも無関心だったように思えたんだがな」
嘆く素振りを見せてくるが、今更過去の自分のことを持ち出されたところで何の感情も湧いてこない。強いて言うならば漸く全身全霊でこの身を賭け、護るべきでありお仕えするべき主に出会えたという僥倖だけが唯一だということだ。
それなのにそんな主の側を一瞬たりとも離れべきではないのに、自分の不甲斐なさに吐き気がする。
「どうやら此方の要求は聞き入れてもらえないようだな。ならば勝手に出ていかせてもらう」
メモリーの中枢に深く入り込んでいる主は、無防備に神殿内にその身を晒している。戦闘は既に終わっているとはいえ、設計者がいつ先程と同じように気が変わるか分からない。信用ならない相手を前に主をあのままにしてはおけなかった。
鞘から抜いた剣身を無造作に振り閃光を迸らせる。剣の周りが電気をはらみ、大気を震わせ闇の中を白雷が駆けた。
「…本気か」
ここにきて漸く此方が冗談でもハッタリでもないということに気付き、口元に浮かべていた笑みが消える。
「言った筈だ。ここから解放しろと」
「…成る程……お前がそこまで崇拝するこの人間とはどんなものなんだろうな」
興味が出てきたよ。
今まで主に対して一切の興味を示していなかった筈が一転して此方を見ながらそんなことを言ってくる。
しかし細められた視線からはおおよそ興味を持ったとは思えない程のゾッとした冷たさを感じる。
ゾワリと身体中に戦慄が走り、一瞬にして頭の中に警鐘が鳴る。
張り詰めた空気と沈黙が辺りに広がり互いに一触即発の雰囲気の中、先にその空気を破いたのは設計者だった。
「やれやれ…もう少しお前の相手をしてやりたかったが、どうやら招かれざる客が来たようだ」
「…どう言う意味だ」
既に纏う空気は元に戻り、設計者の視線は外界を映した映像に向けられている。
続くように其方に視線を向けると神殿入り口からここにいる筈のない人間たちが入ってきているところだった。
「扉は閉めていた筈だけど」
おかしいねえ、と不思議がる設計者だったが、その口元は明らかに酷薄そうな笑みが浮かび、このイレギュラーな状況を面白がっていた。
「と、言うわけだから、まだお前たちをここから出すわけにはいかなくなったよ。何、お前の主には危害を加えたりはしないよ」
「待てっ」
言うや否や、此方のことなどあっさりと見切りを付け、止める間もなく目の前から姿を消した。それと同時に映像には巨大化した設計者の姿が映し出される。
一瞬この機に乗じて封じられたこの空間を破壊しようかと思ったが、新たな状況がどう流れていくか分からない為、下手に動くことができない。
「主に危害を加えないだと?」
その言葉を素直に受け入れる程愚かではない。
映像には未だ動く気配のない主の姿。
ままならない状況に剣を握る指に力を込めたが、一呼吸後そのまま鞘に剣身を収める。
目を瞑り呼吸を整える。
けれども、冷静に見極めなければならないこの状況を今はそれだけでは騒つく胸の内を到底抑えることはできそうになかった。
静かだった神殿内に再び喧騒の音が響いたのは直ぐ後だった────。
初出:2020.12.16