── 沖の屋
125話 ─ 中段 ─
旬がカルテノン神殿内に入った途端、イグリットは不穏な気配と異変に気付く。
ここはシステムにより構築されたダンジョンであり、かつてイグリットが外からの来訪者を迎えていた場所に酷似していた。
自分があの場所を玉座を守っていた理由は忘れはしないが、何故あの場所を永遠と続く長い時の中で守らされていたかは分からない。囚人のように囚われ、ただ玉座を奪いに来る者たちを屠るだけの、時間の流れが止まった空間。
あの場所と同じものを感じ取り胸糞の悪い気分になりかけたところに、突如イグリットの前に六枚羽の天使が何の前触れもなく現れた。
ここは外とは違う影の世界。主と契約をした者以外が侵入できる場所ではない筈だ。
しかしイグリットはこの天使が何者か知っていた。否、会ったことは一度としてない。唯、纏う気配と主の影となるまで頻りに頭の中で響いていた声と同じ声が目の前から聞こえてきた。
それはこの天使がこの世界を作るシステムの管理者であると証明していることに他ならなかった。
「まさかお前がプレイヤーの従者に堕ちるとは思わなかったな」
天使の姿をしているが、その声は天使におおよそ似つかわしくない嘲りを含んだ音を含ませていた。
イグリットの双眸が一瞬にして鋭く相手を射抜く。
しかし相手はそんな視線にも意に介さず気にすることもなくイグリットの周りをくるりと歩きながら構わず言葉を続けていく。
「転職クエストでのこと。あの時のプレイヤーのレベルはお前よりも低かった筈だ。それなのに何故そんな格下のプレイヤーの従者なんかになったのか興味が尽きないね」
可笑しそうに言う天使の姿をした管理者にイグリットは益々苛立ちを覚える。
言葉とは裏腹に自分たちに然程も興味のないことが見て分かる相手に、自分の心情を話してやる義理はない。それがこの世界の管理者だったとしても。
それよりも今は主を再び呼び寄せた理由が知りたかった。しかしこの管理者の素振りを見る限りそれは叶うことはないだろう。
案の定、イグリットが理由を問うても教えてはくれなかった。だから自分で推察するしかない。
ここはイグリットのいたダンジョンと同じ気配がする。
そうなれば───、
「ここも私がいたあのダンジョンと同じなのか」
おかしな真似をしないかと警戒心を隠すことなく管理者に目を光らせながら問うと、相手は勿体ぶることもなく肯と頷く。その上でその意味は分かるなと先程とは一転厳しい目で問われる。
あの場所と同じであれば、この神殿は主の力を審判する場所。それは同時に他の者が介入できないことを示唆する。
重々しく頷き正しく理解するイグリットに天使の姿をした管理者は六枚羽を大きく羽ばたかせ、宙に浮くと満足げに口角を上げる。
その不遜な態度に、しかしイグリットは臆することなくスラリと腰に佩た剣を抜き、目の前で浮いている相手に向けて突き出した。
「今は貴様が我らを抑えて表に出ることは叶わぬが、主にもしものことがあれば抑え切れると思うな」
パリパリと雷光を帯びる剣。
イグリットは射殺さんばかりの殺気を放つ。
「怖いなあ」
しかし相手はそれさえも面白がるように言ってのける。ユラユラと揺れる身体はこの状況を楽しんでいるようにも見える。実際そうなのだろう。
「外には出してあげられないけど、お前たちの主人がどんな風に試練を受けているかくらいは見せてやるよ」
一頻りイグリットと話をして満足したのか、そう言うと現れた時と同様に音もなく目の前から姿が消える。それと交代に旬が天使像の前まで来た映像が影の世界の暗闇の中でもはっきりと見えた。
最後の試練の前に旬が影を召喚しようとしたが、天使像に己の力だけで試練を乗り越えろと、スキルの制限を受け影を喚び出すことができなくなった。
他の影たちが騒めく中、イグリットだけは冷静に旬の戦いを見守っていた。
それと同時に天使像の動向も注視する。
おかしな真似をしようものならシステムのルールだろうがどんなことをしてでも構わず飛び出す覚悟はできている。
左腰に佩た剣を握る指の震えに気付かないフリをして、目の前に映し出される旬の姿を見つめる。
今は主の力を信じて静観する。
「まもれ」
ゲートに進入する前に主から紡がれた言葉。
絶対的な命令であったにもかかわらず、熱を持つことのないこの身体を熱く燃やす甘美な言葉。
その言葉を違えないようにイグリットは今一度固く目を閉じると、未だ騒つく他の影たちの方へと踵を返した。
旬の試練は始まったばかり────。
初出:2020.10.31