── 沖の屋
122話 ─ 中段 ─
あの日、水篠ハンターを病院に送りに行った日、会長と二人で話されていた内容は正直、直接この耳で聞いた後でも俄かに信じられなかった。
上級レイドに一人で入る許可───。
あまりにも危険で無謀な内容に有り得ないの一言に尽きたが、すぐさま架南島レイドで圧倒的な強さを見せつけられた前では、彼であればそれも可能だと思えた。
但し、現行の法では決められた人数以外のゲート入場は厳しく禁止されている。
水篠ハンターの要望を叶える為には、その法律を変えなければならないのだが、通常ならば不可能である法の変更はきっと後藤会長ならば可能にしてしまうであろう確信があった。
案の定、会議では最初こそ水篠ハンターへの贔屓ではないかと詰問される場面があったが、結局のところ有事の際に国民を守ることができる者が誰なのか、過去のS級ハンターの流出の過ちを再び犯すのかというところで、誰もが反論できる措置がなかった為、この法の変更が行われるのは時間の問題だろうと思われた。
但し、法を変えるにはそれなりの手順が必要となる。実際に水篠ハンターの実力を客観的に見て、制限人数の解除を行っても良いものかを判断しなければならない。それにはハンターの実力を見ることができ、尚且つハンターとしての実力を持った協会の職員が彼に同行する必要があった。
そして、その役目を会長から担い今に至る。
目の前で繰り広げられる光景は、目を疑うものがあり、こんな戦い方は未だ見たことがなかった。圧倒的な戦力差で敵を屠っていく。それは正しく蹂躙と言っても過言ではない程の容赦のなさだった。
その異様さは彼が未だ動かないことでも証明された。これまでの戦いは全て水篠ハンターが喚び出した召喚獣だけで進んでいたのだ。
敵を倒しそこから採取できるモンスターの遺体とマナ石の採掘、回収。それら全てを召喚獣たちにやらせているのだ。
あの日、一人でレイドに入る許可を会長に上申していた時は、これら一連の作業をどうするのかと疑問に思っていたが、こういうことだったのかと得心した。
ふと、もう今は記憶の片隅にのみ存在している再覚醒前の彼の姿が脳裏を掠めた。
初めて会った時からこれまで、それ程多い回数彼と対面したわけではないが、会う度に印象が変わっていた。
そして今回も先日会った時とは若干雰囲気が違うような気がする。
あの時は水篠ハンターの家族がモンスターの襲撃を受けた為、彼にも全くの余裕がなかったのだろう。本人は制御するように抑えつけていたが、解決した襲撃戦後であったにも関わらず纏うオーラに隠しきれない殺気が滲み出ていた。
それがあの日よりいく日も経っていない今日対面した時には、先日の緊迫した空気などなかったかのように落ち着いた空気に戻っていた。
妹さんの容態が軽かったから?命に別状がなかったから?
しかしあの時の彼の気に少しでも触れた者であれば、こんな短期間で消化できるものなのかと疑問に思う筈だ。
何かが彼の精神面に影響を与えたとしか思えなかった。
一体何が……。
不意に視界が白い閃光に覆われた。
眩い程の光に目を細め軌跡の先を辿っていけば、そこには一体の召喚獣が剣をモンスターに振り下ろしていた。
西洋の騎士のような影をした召喚獣が剣を一振りする度に雷が迸る。雷撃はレベルの高い魔法系ハンターでなければ扱うことができない筈が、目の前のその召喚獣はいとも容易く手に持つ剣から放出していた。
思い出した。
この召喚獣は以前ハンタースギルドのレイド戦の時にもいた召喚獣だ。
あの時は雷撃は撃ってはいなかったが、華麗な剣裁きで向かってくるモンスターをことごとく撃破していたのを憶えている。
そして何より印象的だったのは必ず水篠ハンターの側に控えていることだった。そう、今もあの時と同じように、護衛が必要だとは思えない彼の側を殆ど離れることなく敵を一掃していた。
まるで主に小さな傷一つも負わせたくないと言わんばかりで、そこには一つの意思があるように思えた。
一瞬、周りにいるモンスターを一掃した召喚獣と水篠ハンターの視線が絡んだ。合図をしたというわけではない。そこに互いがいると確認する、視線だけの動き。
唯それだけの僅かな機微なのに何故か酷く胸を打たれた。
他の召喚獣にはない彼らだけの精神的な感応、繋がり。
きっと二人は気付いていない。
互いを確認した時の絡む視線がとろりと溶けたことを。
ああ、そうか。
あの日、水篠ハンターの心を解かしたのはこの召喚獣なんだろう。
病院で別れるまで終始硬い表情をしていた。
運転席からバックミラー越しに見えた彼の表情が時折苦しそうに歪むのを見て、オーク襲撃戦で何かが彼を苛んでいたのだと感じ取れた。
だが、彼は我々には何も言うことなく、そのまま立ち去ってしまった。
弱さを見せたくないと思っているのか、我々では解決できない事柄なのか。
そんな苦い記憶を残して別れた筈が、今はもうその面影も見えない。
視線が絡む。
指が追う。
その一つ一つに二人の間で見えない熱量が交錯した。
ああ…この熱を上回る熱さはきっと訪れることはないだろう…。
キシリ……、
何処かで何かが軋む音がした────。
初出:2020.10.13