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117話 ─ 中段 ─

 何で、どうしてこんなことになってしまったのっ!!?
 さっきまでいつもと変わらないみんなの声が校舎のあちこちから陽気に聞こえてきていたのに、一瞬にして恐怖の悲鳴が響き渡っていった。まさに地獄絵図のようなこの世のものとは思えない光景が凄惨と広がっていく。


 昼休み、葵とりんはいつものように二人で昼ご飯を済ませ、教室内で雑談に興じていた。
 二日前の旬の謎発言をネタにして、相変わらず兄に対して容赦のない葵と、その言葉に苦笑を返しながらもその後の旬のことが気になり色々と聞き出していたりん。
 最高学年である為、二人の教室は校舎の最上階に位置し、階下からの喧騒は穏やかに聞こえてくるだけだった。
 席から見える窓下では生徒たちがのんびりと昼休みを過ごしている様子が伺える。見知った顔もチラホラ見え、時折上を見上げる彼女たちと目が合うと笑い合いながら互いに手を振り合う。
「そう言えば旬君、今日大阪に行ってるの?」
 校舎の中に入って行く友人たちを眺めながら、昨夜のSNSでのやり取りを思い出し、りんが葵に問い掛けた。
「うん、なんか大阪のギルドの人にレイドの攻略手伝って欲しいって言われたみたいで、今日は大阪に行くって言ってた」
「じゃあ、今日は帰って来ないんだ」
「さあ? どうなんだろう? あ、でも知り合いに会って来るって言ってたから帰ってきても遅いかも」
「知り合い?」
「うん。前にお世話になった人って言ってた」
 大阪に知り合いがいるのかと疑問に思ったりんであったが、こちらで少し前まで住んでいたが実家のある大阪に帰った人みたいと葵から聞き納得がいった。
「女の人?」
「さあ、そこまでは聞いてないけど、Eランクだった時に自分を馬鹿にすることなく怪我を治してくれたりして助けてくれた人なんだって」
 普段あまりハンターの仕事のことを話したがらない旬が珍しく話してくれたこと。穏やかな表情で話す旬を見て、当時のいつもボロボロだった姿しか知らない葵はそんな中でも兄を助けてくれる人がいたと知ってホッとした。
 そんな話を取り止めもなく話していた二人であったが、ふと窓下を見ると慌てふためいて校舎から飛び出して行く生徒たちが何人もいることに気付く。何事かと思い席を立ち下を覗き込もうとした瞬間、校舎全体から鳴り響くような音と生徒たちの悲鳴が聞こえ、思わず互いの顔を見合わせる。
「え? 何? どういうこと? 爆発? 火事?」
「分かんないっ! でも逃げた方がいい?!」
 周りを見ると同じように教室にいた他の生徒たちも一様に不安そうな顔をしている。
 そんなことをしている内に再度ガラスの割れる音がして、今度こそ生徒たちが慌てて教室から飛び出して行く。
 そこへ廊下を走り込んで来た男子生徒が阻み、教室中に響く大声で状況を叫んだ。
「オ、オークが!! 大量のオークが学校の中に現れてみんなを殺していってる!!」
 押し退けようとした生徒が信じられないものを見るようにその男子生徒を見る。言葉は尚も続く。
「下にはもう逃げられない!! オークたちが二年生の階まで来てるんだ!! 早く教室を閉めて入って来られないように入り口を塞ぐんだ!!」
 早くっっ!!
 ありったけの声量で叫んだ男子生徒は急いで入り口を閉めると近くにあった机で塞いでいく。
 呆然と見ていた生徒たちだが、またどこかのガラスが割れる音と階下からの生徒たちの凄惨たる悲鳴が聞こえたのが合図となり、慌てて入り口を塞ぐ手助けをしていく。
「オークってどういうことだよ!! 学校にゲートがあったのか?!」
「分からないっ! 購買に行こうとして階段降りようとしたら二階にいたんだ!! 階段はオークたちがいて逃げられねえ!!」
 幾重にも机と椅子を積み重ね、入り口を塞いでいく。その間にも階下からは悲鳴と破壊音が鳴り響く。
「ここに籠ってて大丈夫なの?!! 絶対見つかっちゃうよ!!」
「そんなこと言ったってどこに逃げるんだよ!! もう窓から飛び降りるしか逃げ場はないんだぞ!!」
 最上階であるこの場所から飛び降りることは自殺行為でしかなく、既に八方塞がりな状態であった。
 そんな中、葵はどうにかして旬の携帯に連絡をつけようとする。
「お兄ちゃん……っ」
 恐怖で震える指は中々旬のナンバーを押すことができず、何度も間違えては消しを繰り返す。漸く正しいナンバーを押すことができたが、そこには無情にも圏外の通知が冷たくアナウンスされるだけであった。
「旬くんに繋がらないの?」
「多分もう向こうのゲートに入っちゃったんだと思うっ」
 旬がいてくれれば直ぐに駆けつけてくれるのに、タイミング悪く今は大阪に行ってしまっている。そうなればハンター協会の到着を待つしかなかったが、それが一体いつになるのか。オークたちに見つかる前に来てくれるのだろうか。
「女子は後ろにいて!」
 葵が呆然としている間にもオークたちの唸り声が段々と近付いて来ている。
 男子生徒は女子たちを窓際に匿うように自分たちの背で庇い、オークに立ち向かうには武器にもならない箒や椅子を持ち構える。
「動かず声を立てるなっ」
 廊下側の窓は磨りガラスになっている。運が良ければ気付かれず通り過ぎてくれるかもと一縷の望むをかけて皆が固唾を飲む。
 足音が一つ二つと近付いてくる。
 ガラスに飛び散った血が付着するのに口から出そうになる悲鳴を飲み込む。

 通り過ぎてっ……っ……!

 オークの姿が磨りガラスに映り廊下を横切っていく。
 一体、二体と通り過ぎていくのが見え、心臓が早鐘を打ったようにドクドクと激しく打つ。
 最後のオークの姿がゆっくりと廊下から消えていった。
 心臓の音はまだおさまらない。
 だが通り過ぎていったことに少しの安堵が生まれた。一番前にいた男子生徒の箒を持つ指が少し緩む。
 しかし次の瞬間、教室内に激しい破砕音と共に入り口に積み重ねていた机や椅子が薙ぎ倒されていた。
 壊された扉の向こうには醜い異形の姿をしたモンスターの姿が現れる。
 教室内にオークの足が踏み入れられる。
 葵はここにはいない兄の姿を脳裏に浮かべながら絶望の中、隣にいるりんを抱き締めていた。

 誰もが思った。
 ああ…もう助からない、と。

 皆が震える中、葵の足元にできた影がゆらりと動いたが、そのことに気付いた者は誰もいなかった。


初出:2021.01.03

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