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112話 ─ その後 ─

 事務所を出た後、旬の向かった先は都心部から少し離れた閑静な街並みにある一棟の高層マンションだった。
 家主には予めメールで在宅の有無を確認している。
 今日は珍しく仕事が定時に終わったらしく、今はもう帰宅しているというので、躊躇うことなくエントランス先の呼び鈴を鳴らした。
 程なくして家主の応えが返り、カチリと解錠の音と共に扉の開く音がする。
「お帰りなさい」
 ここの住人ではないのに、いつもハンター業の帰りに寄るとそう言ってくる相手に、旬は気恥ずかしさを交えながらもはにかみ、返事を返す。
「ただいま」
 扉を開けたまま待ってくれている相手の横を通り抜け、玄関先で靴を脱ぐ。
 先程と同じ扉の閉まる音と施錠する音が聞こえ、後ろを振り返ると家主と目が合いそのまま自然な流れで触れるだけのキスが降りてくる。
「会長から聞きました」
 少し喰むように唇の先を一度吸う。チュイ、と軽く触れ合わせた場所から水音をさせて離れていく相手の唇。
 いつもと変わらない、おかえりのキス。
「俺がゲートの近くにいたので、会長から直接攻略依頼が来たんですよ」
「レッドゲートだったと聞きました。それでもものの数分で片が付いたそうですが」
 会長から直接連絡が入り、ゲート攻略に行ったと説明する旬だったが、既に家主はそのことについて把握しており、その上で遅くなるような時間ではなかったのではと存外に言葉の裏にのせてくる。
「攻略は直ぐだったのですが、向こう側は雨が降ってましたので服を乾かす為に事務所に寄ったんです」
 相手の洞察力に苦笑を交えながら、問われた疑問に答えていく。
「そうしたら事務所に来客があったので、その応対で少し遅くなってしまいました」
 促されるままにリビングにあるソファに座らされるとそのまま相手はキッチンに行き、旬の為に温かいココアの準備をする。
 それを何気に眺めながら旬は先程の事務所でのやり取りを思い出していた。
 何故彼女がギルドに加入したがったのか、いくら考えても分からない。今のギルドに不満があるのか、それともマスターである最上代表と何かあったのか。
 その辺りの事情については興味はなかったが、ハンタースを辞める意思まで持って自分たちのギルドに加入希望に来たことはまだ他には伏せていた方が良いと判断し、それ以上の説明は避けることにした。
 コトリ──。
 考えに耽っていた旬は目の前にカップを置かれる音で意識を浮上させる。
「雨に濡れたのであれば体が冷えてしまっているのではないですか」
「ありがとうございます。大丈夫です、事務所でもコーヒーを飲んできましたので」
 カップを手に取りひと口つけると、じんわりとココアの温かさと甘さが体に沁み入る。
 ホッと息を吐き、自然と口元に笑みが浮かぶ。
 そんな旬の緩んだ表情を見た家主もそのまま自然と旬の傍らに腰を落ち着かせる。
「そう言えば事務所で思い出したのですが、ギルドの申請の準備は順調にいってますか」
「はい、諸菱君が手続きをしてくれてますので近く申請できそうです」
 ギルド設立に必要な人数もどうやら見つかりそうだし、数日中には協会にギルド申請に行けそうだった。
 そう考えていた旬はふと先程賢太に言われたことを思い出す。
 ギルド名か……。
 あれこれ候補を言っていた賢太であったが、旬としてはどれもしっくりこなかった。それならば自分の出したギルド名の方がまだ良いように思うのだが、どうしたことか賢太にも、事務所に来所した向坂にもドン引きされた。
 一体何が悪いのだろう。
 考えても分からないことは一旦置いておこうと思い、ココアをひと口飲んだところで隣に座る人物に目を向ける。
「ギルド名がまだ決まらないのですが、晃さんの意見を聞いてもいいですか?」
 協会の職員である家主こと犬飼であれば、色々なギルドを見てきている筈だ。何か良いアドバイスをもらえるかもしれない。
 そう思った旬は賢太とのやり取りを説明し、その上で自分が考えたギルド名を犬飼に伝える。
「諸菱君の出したギルド名はどれもしっくりこなくて、だからソロプレイギルドで良いんじゃないかって言ったんです。そしたら凄く変な顔をされて大脚下を受けたんですよ」
 何が悪いんでしょうか。
 真剣に悩む旬だったが、隣で聞いていた犬飼は旬の言ったギルド名を聞いた途端、危うく飲んでいたコーヒーを噴き出しそうになっていた。
 いや、少し噴きこぼれてしまったかもしれない。

 本気で言っているのだろうか……。

 冗談なのかと恋人の横顔を咄嗟に見たが、旬の真剣に悩む姿を見てこれは本気なのだと察する。そしてそれを必死で止めた賢太に少なからず同情してしまったのだった。
「旬さんは何故反対されたか本当に分かってないのですか?」
 気を取り直し旬に気付かれないように深呼吸を一つすると、さり気なく心当たりがないか聞いてみる。
「それがいくら考えても分からないんです。ゲート内で実際に戦闘をするのは俺だけですから、ソロプレイで良いと思うんですけどね」
 元々ソロプレイの意味はゲーム内でパーティーやチームに所属せず一人でプレイすることから来ている言葉だ。ゲームで使用される用語ではあるが、ギルドのような同じく複数のメンバーでゲートを攻略していくハンター業でも使用できる言葉だと思うのだが、使われることはないのだろうか。
「うーん、でもやっぱり他の名前が思いつかないので、明日また諸菱君に言ってみます」
「そうですか」
 そう言って早々に結論付けようとする旬に、犬飼は表面上は穏やかに話を聞いていたが、内心ではどうにかしてギルド名を諦めさせようとあの手この手と考えを巡らせ、結局旬自身に自覚してもらおうと少々荒療治を決行することにした。あと、自分以外の人間の前でソロプレイ、ソロプレイと連呼したお仕置きも兼ねて。
「旬さん、ソロプレイの意味はご存知なんですよね」
「? 単独で行動することですよね」
「そうですね。一般的にはそういう使い方をしますが、それ以外の俗語をご存知ですか」
「俗語?」
 ここまで言っても気付かない旬にある意味感動すら覚える。年頃になれば大概そう言った猥談紛いな話を男同士でしたりするものだが、そういった経験はないのだろうか。
 犬飼の言葉を聞いてもピンと来ていない旬の表情に今から言う言葉を教えるのは些か躊躇いがあるが、それよりも今後のことを思えばやはり言っておくべきだと自分に言い聞かせ、話しを続けていく。
「ソロプレイ、soloとは一人、playは行動や何かをするという意味ですが、playには他にも色々な意味があって、solo playとした場合──、」
 そこで一旦言葉を切った犬飼は、旬の持っているカップを取りローテーブルの上に置き、そのまま旬との距離を更に詰めると、形の良い耳に言葉を直接吹き込むように続きを言う。
「一人遊びと言う意味合いを持ちます」
 それの意味は分かりますよね。
 秘め言を囁くような声音で言えば流石の旬も犬飼が何を言わんとしているかを察し、狼狽えたように視線を彷徨わせ困惑した表情で相手を見上げてしまう。
「どうされました?」
 旬の困惑は見てとれる程で、しかし敢えて気付かないフリをする。その上で優しく問いかけると一瞬にして顔を真っ赤にさせた旬が慌てて弁解を募ろうとする。
「ち、違います!俺、そう言う意味で言ったわけじゃっ」
「そう言う意味って? 他に思い付く名前が見つからないんですよね。だから明日また諸菱ハンターに掛け合うんですよね?」
 ソロプレイがいいって。
 旬の話振りからすると諸菱は分かっている。そんな相手に明日もまた同じように話を持ち掛けるなんて、自分で言っておきながら嫉妬でおかしくなる。
「明日どんな顔をして彼に言うのですか? 今日のように何も知らないフリして?」
 気付けば旬の体は二人掛けより少し大きめのソファに背中から押し倒されていた。
 目の前には恋人の端正な顔。
 声音は優しく表情は穏やかなのに、そこに見え隠れする燻った炎が瞳に宿るのを見てしまい、ゾクリと恐怖ではない震えが体を駆ける。
「説得させるんですよね、ソロプレイが良いと。その名前の何が良いのか僕にも教えて頂けますか」
「ま、待って晃さんっ」
 目的を持って犬飼の手が旬の頤から首筋に沿って辿っていく。鎖骨を撫でられ腕を伝い長く伸びた旬の指を取ると自分の唇に寄せて、軽くキスをする。
「この指で教えて頂けますか」
 視線を合わされ睦む言葉に犬飼の意図が見え、羞恥に思考がショートしそうになる。
「む、無理ですっ」
「大丈夫ですよ。できなければお手伝いしますから」
 そう言って旬の白いシャツに指を掛け、一つボタンを外す。
「続きは旬さんがして下さい」
 次のボタンに指を促され、旬が外すまでその場で指を固定されたままにされる。指はすぐに跳ね除けられるくらいに優しく覆われてるだけなのに、どうしても跳ね除けることができずにいる。
 いくら待っても犬飼の指はそのままで、縋るように視線を向けても優しく微笑まれるだけで犬飼からは何もしてはくれない。仕方なく震える指でボタンに指を掛けると褒めるように指を撫でられまた次のボタンまで指を促される。
 そんな風に自分で全て外すまで繰り返され、シャツの前を肌蹴させられる。
 勿論、それだけで終わらせてもらえる筈もなく、リビングの明るい光の中、旬は犬飼の前でそれこそ自分の言った言葉の通りの行為を羞恥でこれ以上はできないと懇願するまでさせられてしまったのだった。

 その後、旬の口からソロプレイのギルド名が出てくることはなく、賢太が胸を撫で下ろしたのは言うまでもない。


初出:2020.11.10

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